24.夕暮れの教室

「いつも思うんだけどさぁ、テストの時間って長すぎるよな~」
 放課後。俺の対面に座っていた悠木は、風に軽くはためくカーテンの隙間から夕空を眺めつつ、そんな事を唐突に呟いた。薄く染まる雲を見るその目に、あの夜や電車の中で見せたような異様な熱は感じられない。
「テスト期間が?」
「いや、実際のテストの時間。静かな教室で一時間近くもじっとするとか、すげーつまんねーし、カズに手紙書くわけにもいかないし……」
「いや書いてるだろ」
 テストが一教科終わるごとに、悠木は俺と問題用紙を交換したがる。悠木の問題用紙には、余り時間に描いた落書き……というには気合が入り過ぎた代物が空きスペースを埋めるように描かれており、それには『アストレア』の考察の一片や、俺へのとりとめのないメッセージが添えられていることが多い。試験監督の先生たちの反応は様々で、最後まで頑張りなさいと注意することもあれば、悠木の机の近くに留まり、しげしげと悠木の手元を眺めていることもある。
「あれは手紙未満だから。スペース少ないんだよな~、裏表印刷やめて欲しい」
 時代に逆行すること言うな、と俺が突っ込むまでもなく、
「一見エコじゃなくても俺はちゃんと有効活用するからいーの」
 悠木はそう続け、俺のシャーペンで俺のノートの端に猫を描いた。ちなみにそれは提出用のノートだ――もちろん初犯ではない。もはや注意する気も起きないくらいに繰り返された侵犯行為だ。
「お前以外は?」
「俺以外は両面印刷でいいよ」
 などと上から目線で言う悠木は、俺と違って試験中に落書きをする余裕があり、テストの準備期間である今も焦った様子は全く見せない。勉強をしていないというわけではないが、頭には常に『アストレア』の世界が展開されていて、その世界で起こる様々な現象やそれに対しての悠木自身の解釈といったものに、脳の容量の半分程度を使っているのだと思う。言動から推測しただけで、実際悠木の頭の中を開いて見たわけではないが。
「まっ、今のこーいう時間は楽しいけどな! こうやって教室に居残っても何も言われないし、カズとのんびり出来るし」
 テスト期間中、放課後の教室は居残り勉強のために開放される。今は俺たちの他にも何組か残っていて、喋りながら(俺たちと違って主に勉強の話だ)教科書を見たり、問題集を解いたりしているところだった。
 悠木は自分の席で大人しく勉強をするような性格ではないので、俺の一つ前の席――長谷川の席に腰掛けている。長谷川は自宅学習派で、悠木に放課後の使用権も快く与えてくれた。私語原則禁止の学習室では、俺と悠木が『のんびり』することなど出来なかっただろう。
「あ~、ここに流星がいたら本当の本当に最高なのなぁ~」
 悠木は残念そうに言うが、実はちゃっかり土曜日に勉強会を取りつけている――それも開催場所は俺の家だ。初め、悠木は平日の放課後もどうかと誘おうとしていたが、結局やめた。流星の負担にはなりたくなかったらしい。
「いたら勉強の邪魔してるだろ」
「え~? 邪魔って何だよ。俺ちゃんと黙ってるし、ずっと見てるだけでいいもん。ホントにただ流星を見てるだけ!」
「…………」
 じっと見つめられながら勉強。壮絶な罰ゲームだ。
「流星は集中力ありそうだから、俺がじっと見ててもペース崩さずちゃんと勉強出来そうなイメージ。実際どう?」
「……いや、分かんねー」
「えっ、カズなのに? ……分からない?」
「分かんねーって」
 確かに昔から集中力がある方ではあったが、一年先輩の男にじっと見つめられながら、平気な顔で勉強を続けていられるほど強靭な精神の持ち主であるかどうかまでは――さすがに分からない。
「カズなら分かると思うんだけどなぁ」
 と悠木がしつこく言うので、俺は持っていた参考書から顔を上げ、悠木をじっと見つめた。悠木はすぐに視線に気付き、目を合わせてきた。
「なに?」
 俺は問い掛けを無視し、悠木をじっと見つめ続ける。悠木も暫くはじっと見つめ返し続けていたが、二十秒も経つと目を泳がせ始めた。それでいて完全に俺から目を離すことも出来ず、ちらちらと目を合わせくる。
「カズ? 何だよー」
 中学の時と違い、あまり日に焼けていない頬。少し垂れ気味の、甘えるような目元。長い睫毛が揺れている。
「……え、え、もしかして怒った?」
「いや怒ってねーよ。つか、俺がお前見てもキツいんだから、お前みたいな知り合ったばっかの先輩が見てたら流星も緊張すんじゃねーの?」
 悠木の髪をくしゃくしゃと撫でる。悠木は乱された前髪の間から俺を一瞬恨めしそうに見て、俺の机にばっと顔を伏せた。
「……カズにじっと見つめられるとすげー緊張する」
「は?」
「何か、何かさぁ~~、何か駄目なんだって~~、カズくん怖い」
「怖くねーし」
「怖いもん。俺まだ心臓バクバクしてる。このまま死んじゃいそう。カズは平然としてるのに、俺はここで死ぬ。俺はここで死ぬんだ。犯人はヤス」
「誰だよ」
「死にそう。死んだ」
 顔を伏せたまま動かなくなった悠木に、少しやり過ぎたかと思う。
「……悪かったって。帰り、うち寄るか?」
 それでも悠木は動かない。橙色に染まり始めた教室で、悠木の髪がきらきらと輝いている。
「今日は俺が夕飯作るけど」
 悠木は顔を伏せたまま頷いた。顔を上げないのは俺への意趣返しのつもりか、それとも本当に緊張したのか。
 緊張。俺だって別に内心は平然としてるわけじゃない――ただ、悠木のように分かりやすくないだけだ。
 俺は悠木の潤んだ目を頭から振り払った。そして悠木の髪をもう一度くしゃくしゃに撫で、「帰るぞ」と声を掛けた。
「……今日の飯なに?」
「すき焼き」
「えっ……じゃあ帰る……」
「肉は貰い物。つか、すげーいっぱいあるからお前誘っとけって言われてんだよ。遠慮される方が困る」
「ホント?」 
「ホント」
 悠木はそれから三十秒ほどして勢いよく顔を上げた。
「じゃあ俺さっぱりしたゼリー系のお土産買って行こうかな! いや、うーん、シャーベット系がいい? それとも果物が合う?」
「いや何もいらねーから」
 俺は悠木の下敷きになっていたノートと筆記用具を鞄に入れ、立ち上がった。悠木は「俺が食べたいの」と言いながら立ち上がり、「早くしないと置いてくからな!」と言い捨てて教室を駆けるように出て行った。
 ゆっくり歩いて行ってもどうせ校門のところで待っているだろうと思いながら、俺は悠木を追って走り出した。
←前の話へ 次の話へ→ topページに戻る