2.再会(後)

 俺の目をまっすぐに見つめる流星の目。俺はずっと、その瞳の中に現れるのは怒りだと思っていた。他でもない俺自身が、それだけのことを流星にしたからだ。
 だが――明らかに、今ここにいる流星は俺に腹を立ててなどいなかった。というよりむしろ……。
 俺は次に口にしようとしていた言葉を見失ってしまった。この五年の間、胸の内でずっと温め続けていた言葉が、果たしてこの場に相応しいものなのかどうか分からなくなってしまったからだ。
 挨拶を返したきり何も言わないでいる俺に痺れを切らしたのか、流星が再び口を開きかけた瞬間だった。
「ちょーーーーっと待て!!」
 俺と流星は、しんとした空気を破って食堂中に響くような大声を発した人物――悠木に顔を向ける。
「おいカズ……と山崎流星くん! お前ら知り合いなのかよっ!!」
 悠木はスプーンの柄を握り締めたまま前のめりになる。ぐっと近付いてきた顔は怒りに満ちていた。思わず顔を引いてしまう。
「あー……あー、知り合いっつーか幼馴染み……」
「は!? 幼馴染み? おさな……幼馴染み!? おいおいおい、な~んでさっき言わなかった? 何か流されたけど明らかに誤魔化してたよな? 親友に隠し立てするとはいーい度胸だ……!」
「悪い」
「許さん~~」
「あの」
 悠木の唸り声よりも大きい、はっきりとした声が俺と悠木のやり取りを中断させる。流星は俺ではなく悠木の方を見ていた。
「お食事の邪魔をしてしまってすみません。俺……出直してきます」
 お食事というのはプリンのことだろう。頭を下げてから素早く踵を返した流星を、悠木が慌てて呼び止める。
「おいおい待って待って山崎くん! こっちこそごめん、俺が怒ってるのはカズにであって山崎くんにじゃないから! 気にしないで! えーっと……ほら、ここ座って!」
 悠木は自身の隣の席をバンバンと叩き、有無を言わせぬ勢いで手招きする。流星は戸惑いながらも大人しく悠木の横に収まった。
 比較対象を持ったことで、流星の体格の良さが視覚的に分かりやすくなる。うちのアメフト部は全国大会出場常連校だが、レギュラー陣の中に流星が混ざっていても違和感はなさそうだ。体つきは五年前と比べるとほぼ別人だった。
「俺、カズのクラスメイトの悠木慧。けい、の字はこれね」
 悠木はスプーンを一旦置くと空中に自身の下の名前をゆっくりと書いた。流星は指の動きをしっかりと目で追い、悠木が分かったかどうか首を傾げて窺うと、悠木の目を見つめて頷いた。
「俺は……もうご存知だったみたいですが、山崎流星といいます。一年です」
「うん、知ってる。俺はカズと同い年だから二年。ちなみに四組で、俺たちのクラスは三階の左端にあります。どうぞよろしく~」
「よろしく、お願いします」
 悠木が間に入ったことで張りつめた空気が緩んだ、そう感じたのは俺だけではなかったようで、会話の間に流星の肩から少しずつ力が抜けていく。周りの視線も徐々に元の場所へと戻っていった。
「あ、食いかけだけどプリンいる? 今ならトッピングの苺もまるごと一つ付けちゃうぜ」
「いえ、お気遣いなく……」
 悠木の言葉が冗談なのか本気なのか分かりかねた顔で流星は答える。俺の経験から言うと半分冗談で半分本気だ。悠木は「そう?」とあっさり引き下がり、プリンと苺とクリームをひと匙で掬って自分の口に運んだ。
 流星をここに引き留めた張本人である悠木が喋るのをやめてしまうと、途端に沈黙が下りてしまう。さあ二人で今から話し合おう、という雰囲気でもない。結局、悠木がごくりとプリンを嚥下してしまうまで俺も流星も口を開かなかった。
「ところで山崎くんは……あ、やっぱ流星くんって呼んでいい? ダメ? 馴れ馴れし過ぎる?」
「いえ、大丈夫です」
「おお、流星くんは何だか物凄くいい子じゃないかって予感がしてきたよ」
「ありがとうございます」
「そういや、何で教室じゃなくてここに来たの?」
「何人かの先輩にカズく……先輩のいる教室を尋ねてみたんですが、分からなかったので手当たり次第に回ってました」
「うーん、そっか~。よし、とりあえず連絡先交換しとこう!」
「あ、はい、お願いします」
 どうやら悠木はこの短いやり取りで流星をいたく気に入ったらしく、女子相手にすらここまでは、という積極性で流星との間合いを詰めていく。流星に対する説明で俺との関係を友人ではなく『クラスメイト』と表現したことを考えると、俺への当てつけも多少入っているのかもしれない。流星は促されるまま携帯を取り出し、自らの個人情報を知り合ったばかりの怪しげな上級生に渡した。
「カズ?」
 それまで俺を無視していた悠木が、急に俺の方を見る。
「二人はお互いの連絡先知ってんの?」
「俺は……知らない」
 流星の視線を感じながら答える。悠木は流星に向き直ると、その顔から尋ねる前に答えを読んだ。
「そっか。じゃー俺が後で二人に送っとく。もう予鈴鳴るし、今から昔話するには遅すぎるだろ?」
 狙いすましたかのようにチャイムが鳴る。悠木は残りのプリンを二口で片付けてしまい、最後に俺の烏龍茶を勝手に一口飲むと、さも満足そうにうんうんと一人頷いた。そして容器が載っていたトレイを持って返却口に向かった。その足取りは、ほんの数分前まで青い顔をしていた人間のものとは思えない。
「カズくん」
 食堂のおばちゃんと話し始めた悠木の後ろ姿をぼうっと眺めていた俺を、流星がじっと見つめる。
「今日の放課後、時間ある?」
「……悪い、今日はバイトがある」
「じゃあ明日は?」
「明日もバイト……いや、遠回しに断ってるわけじゃなくて本当にバイトだから。ぎっくり腰で一人休んでるから代わりもきかないし」
 というより、ぎっくり腰で休んでいるフリーターの田所さんの代打として俺が出ることになったのだ。普段は週二のところを今週は四日。一年前、高校入学と同時に始めてからずっと試験休みなど融通をきかせてもらっているコンビニだ。こういうときに役に立たなければ、他に機会はないだろう。
「じゃあ、後で連絡してもいい?」
「ああ」
「今度は無視しないで」
「……分かった」
「俺、カズくんとまた会えてよかった」
 流星は俺の目をまっすぐに見て言い、すぐに立ち上がって俺に背中を向け、歩き出した。
「俺も」
 その言葉が流星の耳に届いたかは分からない。



「それで?」
「それで、って?」
「カズと流星くんの蜜月とその崩壊について」
「……」
 食堂から教室に戻るまでの数分、俺と悠木は常のように並んで歩いていた。
 蜜月と崩壊、どちらも俺の歩みを緩めさせるに十分な単語だった。最初に引っ掛かったのは前者だが、ぎょっとさせられたのは後者の方だ。悠木は俺と流星の間に流れる空気から察したに違いない。
「蜜月って言い方はやめろ。……流星とは昔住んでた家が近所で……お互いが一番仲のいい奴だったんだよ」
 悠木はその答えだけでは満足しなかったようで、続きを促すように沈黙していた。
「……小学校でも家でも、兄弟みたいに四六時中一緒にいた。けど俺がこっちに引っ越すってなったとき、流星に対して酷いこと散々言って……挙句、今の今まで連絡一つしなかった」
「酷いことって?」
「それは……」
 悠木はどこから説明すべきかと口ごもった俺の顔をちらりと横目で見たが、追及することはしなかった。
「教室にいるときに誤魔化したのと、こっちに引っ越す前のこと、今まであんまり話そうとしなかったのはそれが理由?」
「ああ」
 気まずいのと、情けないのと、羞恥心からだ。結局全部保身だな、と胸の内で呟く。
「ふーん……へぇ……そっか……いやあ、カズって実は悪い男だったんだな~」
 否定出来ずにいると、悠木は「マジに取るなって」と苦笑した。
「部外者だから適当なこと言うけど、流星くん、あんま怒ってるって感じでもなかったし、わざわざ話しに来たくらいなんだからさ、今からいくらでも仲直り出来るんじゃね?」
 悠木は優しく微笑んで「って、俺は思うよ」と付け加えた。
「……なぁ、悠木」
「ん~?」
「お前いいヤツだな」
 連絡先の件といい、ふざけながらもこちらを気遣ってくれている。
「なんだよカズ、今頃気付いた? 遅えよバ~カ」
 そう言いながら悠木は俺の手から烏龍茶のボトルを奪い取り、それでぐりぐりと俺の脇腹を押してくる。ボトルを掴んでやめさせようとすると素早く避けられ、また別の角度から攻撃されてしまう。歩きながら暫く無意味な攻防を繰り返していると、悠木はふと足を止めてペットボトルを下ろした。つられて立ち止まる。悠木はやけに真剣な表情を浮かべていた。
「なあ」
「何だよ」
「カズはもう、同じことを繰り返す気はないんだよな?」
 『同じこと』――そう、多分流星にしたようなことだ。
 悠木の目を見て、俺は悠木が何を思っているのか正確に読み取ることが出来たような気がした。
「ああ。もうあんなことをする気はない。流星にも……誰にも」
 だからそう答えた。
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