18.出会い、春

 悠木と初めて言葉を交わしたのは、中学一年の春、二泊三日のオリエンテーション合宿でのことだった。
「どうも、中西一也くん! あ、中西くんで合ってるよな?」
 合宿所に向かうバスが休憩所で止まり、半数近くがバスの外に出た後。窓際の席にいた俺は、戻ってきたクラスメイトの一人から唐突に話し掛けられた。
「……合ってるけど、何?」
 何の用だろうと思った。通路に立ち、前の座席のシートに手を置いて俺を見下ろしているクラスメイト――さらさらの黒髪に整った顔をした細身の少年とは、これまで一度も話したことがなかった。知っているのは顔と名字、それに合宿所の部屋のグループは俺と別で、バスの席も離れている、ということくらいだった。
「ん。中西くんの隣、仲田くんだろ? さっき外で仲田くんと俺の席、トレードしたんだよ。俺の隣のやつと仲田くんが話したいらしくて」
「先生は?」
「別にいいよって。だから俺、今から中西くんの隣」
「ああ……そう。じゃあよろしく」
「うん、よろしく! 俺、悠木慧」
 悠木は俺の隣に腰を下ろし、荷物を置いた。俺としてはもう挨拶は済んだと思っていたので、悠木が話し掛けてくる前にやっていたこと――窓枠に肘をついて窓越しに外を眺める、という退屈な行為を再開しようとしたのだが、隣から視線を感じた。どうやらまだ何か言いたいことがあるらしい。
「……窓際の席がいいなら、場所代わるけど」
「え? ううん、大丈夫。ここでいい」
 悠木は首を激しく横に振った。
「じゃあ何?」
「……うん、えっと、あのさ~、中西くん」
「何だよ」
「中西くんって、うるさいの嫌いなタイプ?」
「うるさいって?」
「ん~……、俺が話し掛けたら迷惑かなって」
「いや、別に」
「ホント?」
 悠木は俺の目をじっと見つめながら尋ねた。軽い口調だったが、試されているような気がした。ここで否定的なことを口にしたり誤魔化すようなことをしたりすれば、悠木と二人で話す機会は永遠に失われてしまうのかもしれない――そんな馬鹿げたことを思った。
「本当。迷惑じゃない」
 悠木の顔にパッと笑顔が浮かんだ。緊張の糸が一気に緩んだ音がした。
「そっか、よかった! 俺、黙ってるより喋ってる方が落ち着くから」
 同じクラスになって間もなかったが、悠木が少し騒がしいタイプの人間だということは何となく分かっていた。大抵誰かと一緒にいて笑い声を上げていたし、合宿前の集会で学年主任に私語を注意されている姿を見ていたからだ。
「でも中西くんは俺と違ってクール系でさ、何か大人な感じだよな~羨ましい」
 わざとなのか無意識なのか、悠木は子どもっぽく足を揺らしながら言った。
「別に、やる気ないだけ」
「え、やる気ないの?」
「ない」
「合宿ってワクワクしない?」
「しない。面倒だし」
「えー、肝試しとかキャンプファイヤーもあるのに? 俺は家にいるより絶対楽しいと思う」
「肝だ……、そんなのあんの?」
「え!? もしかして合宿のしおり読んでない!?」
 事前に配られた合宿のしおりでじっくり読んだのは、持ち物チェックリストが載っている裏表紙だけだ。
「めくってはみた」
「じっくりではない?」
「ではない。悠木は――」
「俺はもちろん隅から隅まで読んだ」
「は? 全ページ?」
「もちろん全ページ。ほぼ暗記状態だから頼ってくれてもいいよ!」
 悠木はぐっと親指を立ててみせながら言う。その様が何となくおかしく感じて、俺は口元を緩めた。
「しおり暗記してどうすんだよ。テストでもないのに」
「それはあれだよ」
「あれ?」
「うん。まず、しおりをろくに読んでない中西くんのような人の役に立つでしょ。それをきっかけとして中西くんと俺が仲良くなるチャンスが生まれる。そのチャンスを確実に掴んで、次に繋げて……段々親密度を上げていく。そしてそれを足掛かりとして日々の生活の中でも親交を深めていき……徐々に思い出を積み重ねていくことで友達になる! 友達が出来ると学校生活がもっと楽しくなり……楽しくなるとパフォーマンスが上がってその後の人生も充実し……充実すると健康指数も上がり……そのまま行くと俺は最高の一生を送った人間として幸せにこの世から旅立つことが出来る、……ようになったらいいなぁ~、と……」
 最後の方は自信なさげで、悠木は『馬鹿みたいな妄想を言った』と明らかに自覚している顔で、俺から目を逸らした。
 正直、俺は悠木に対しての『何か変な奴』という印象を深めていたが、同時に興味をそそられてもいた。誰かのことをもう少し知ってみたいと思ったのは、引っ越し以来初めてのことだった。
「えっと~……引いた……?」
「いや。すげーこと考えてんだな、お前って。しおりからそんなに発展させられるヤツ、なかなかいないだろ」
 悠木は不自然に逸らしていた目をまた俺に向け、一拍置いて、はにかみながら笑った。俺も軽く笑い返した。
 それから俺たちは、出身の小学校のことや、鬼瓦のような顔をした学年主任、校舎のこと、合宿所での食事のことなど、話題を変えながら喋り続けた。会話を主導していたのは悠木で、俺は面白いことの一つも言わなかったし、悠木の言うことに大笑いもしなかったが、悠木は楽しそうだった。
 そしていつの間にか休憩時間が終わり、バスが動き出して会話が途切れたとき。悠木がこんなことを言った。
「……あのさ。中西くんって思ったより話しやすいね!」
「『思ったより』?」
 自分から積極的に話し掛けることは少ないとはいえ、『話し掛けるな』オーラを出していたつもりはなかった。転校直後ですらそうだったのだ。中学でもただの生徒1として無難に過ごしていくつもりだった。
「うん、何か……俺みたいなのは嫌いなタイプかなって思ってたから。さっきも言ったけど大人な感じだし。俺ってガキっぽいでしょ?」
「……つうか、俺も悠木も普通に子どもだろ。別にガキっぽくていいんじゃねーの。俺も普通にガキっぽいとこあるし」
「たとえば?」
「…………、ヘビが怖い」
 悠木の顔が何故かパッと輝いた。表情がころころ変わる奴だと思った。
「俺は結構好き! じゃあ俺のこと頼って! ヘビが出てきたら俺が中西くんをガードする!」
「出てきたらって、どこに?」
「合宿所に。肝試しのルートを地図で調べたんだけど、ヘビが出そうな感じだった」
「へぇ……」
「肝試し、俺と一緒に回る? あれ、ペアで行くんだよ」
「……けど、ああいうのって勝手に決められるんじゃねーの。出席番号順とかで」
「その辺は何とかなるっていうかする。うちの担任、結構その辺は柔軟っていうか、アバウトっぽいし」
 『だから、俺と一緒に回ろう?』悠木の目が問い掛けていた。
 何がどう作用したのか分からなかったが、俺はどうやら合宿中のイベントの一つを共に過ごしたいと思われる程度には、悠木の気を引いたらしかった。
 期待の眼差しを撥ねつけるのは躊躇われて、俺は軽く頷いた。悠木がその顔にまた満面の笑みを浮かべたのは言うまでもない。

 その後の肝試しでは、悠木の計画通りにペアになることは出来たものの、手持ちのライトに体当たりしてきたカナブンに悠木が精神的に完全ノックアウトされ、開始二分で俺と悠木の立場が完全に逆転することになったのだが――合宿が終わる頃には何故か、俺たちは互いの側にいることが自然な状態になっていたのだった。
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