16.洞穴探検と金魚

「あっ、そうだそうだ! 手ぇ出して、二人とも!」
 殆ど這いつくばるようにして洞穴の中を覗き込んでいた悠木は、ふいに立ち上がってデイパックから何かを取り出し始めた。
 言われた通りに手を出すと、俺と流星、それぞれの手のひらに一つずつ、二頭身にデフォルメされたアストレアのマスコットが降り立った。
「いや、いらな――」
「いるの! 支給品です。野生動物避けになるから。鈴、付いてるだろ?」
 ガチャガチャから出て来そうなサイズのマスコットには、よく見れば確かに小さな鈴が付いていた。
「ありがとうございます」
 流星は素直に受け取り、アストレアの頭から伸びる紐をジップアップのパーカーの金具に括りつけた。チリン、と音がする。
「うん、いい子いい子。……ほらほら! カズも!! ちゃんと装備しろよな!」
「分かったよ」
「今!」
「分かったって」
 街中なら躊躇ったところだが、山の中だ。他の誰に見られるわけでもない。
 山を下りたら即返そう、と思いながらベルト通しに紐を括りつけ、『装備』を完了した。
 悠木はというと、元からデイパックにじゃらじゃらとマスコットを下げていて、そのうち三つが鈴付きだ。デフォルトで自己主張が激しいこの人間に、わざわざ近付きたがる野生動物はそうそういないだろう。
「よーし……じゃあ、まず俺が中を覗いてくるから。二人は俺が一通り見終わるまでここで待ってること。OK?」
 悠木はそう言って辺りを見回し、右手で石、左手で長く太い木の枝を拾い上げた。
「いや、何だよそれ」
「武器。毒蛇とか大量の虫とか……いるかもしれないだろ?」
「森川さんは洞穴に何か出るとか言ってなかったと思うけど」
「じゃーカズは森川さんが普段ここに出入りしてると思う?」
 洞穴の中は入口よりは広そうだったが、光が届かないせいか薄暗い。祠は奥にあり、そこまで行く道にはごろごろとした石が無造作に転がっている。
 ……言われてみれば確かにそうだった。ここに出入りするような用が森川さんにあるとは思えない――というか、普段から人が訪れているような気配がここには全くない。
 ということは、野生の蛇が一匹二匹、暗がりから飛び出してくる可能性は十分にある。
「……なぁ、俺が先に見てくる。悠木はここで待ってろよ」
 そう言って中に入ろうとすると、悠木は慌てて俺の前に腕を長く伸ばし、行く手を遮った。
「何でだよ! 俺が行くって言ってんじゃん」
「いや、いいから」
「何だよカズ、いきなりやる気とか出して……あっ!? もしかして流星の前で良い格好しようって魂胆か!?」
「ちげーよ。つかそれお前だろ」
「違いますー! 俺はただ今日の探索のリーダーとして自分の責務を果たそうとしてるだけですー!」
「リーダーこそ潰れたら不味いんじゃねーの。蛇はともかく、虫は苦手だろ」
「べっ、別に、アストレアの為なら虫くらい何ともねーし……」
「つか一緒に入れば――」
「やだ! 俺が先! 俺が先なの! カズは待機!」
 そう駄々っ子のように言いながら、悠木は俺と入口との隙間にその体を滑り込ませようとする――押し退けるかわりに、俺は悠木の脇腹へと手を伸ばした。
「ひっ」
 ちょっとくすぐってみただけで、悠木は小さく悲鳴を上げて左手から枝を落とした。
「わ、ちょっ、あっ、あっ、カズ! カズって! う、や、やめ、それ、う、ああっ、ちょ……あっ、やっ、やだって……カズ! カズっ! やだっ、あっ、あぁっ……」
 右手から落ちそうになっていた石を取り上げ、脇に投げ捨てた。悠木は体をびくびくと震わせながら俺の攻撃から逃れようとする。洞穴の入り口から引き離すように少し――ほんの少し追い込んでやると、悠木は洞穴の横の壁に凭れ掛かりながら、ずるずるとその場にへたりこんでしまった。
「~~~~」
 悠木は涙目で俺を睨んだ。くすぐりに弱いと知っていて、俺が迷いなくその手段を取ったことに腹を立てているのだ。
「……悪かったよ。けど俺も一緒に行っていいだろ、リーダー?」
 今度はくすぐる為にではなく、立ち上がらせる為に手を差し出して言った。悠木はすぐにはその手を取らなかった。息を整える為の間が気まずく流れる。
「……一緒にって、でも入るのは俺が先だよな、カズ?」
 入口は小さい。二人同時に入れないこともないだろうが、かなり無理矢理になる。
「……俺がすぐ後に入ってもいいなら」
 その答えに悠木は渋々といった様子で頷き、俺の手を取って立ち上がった。そして流星に目を向ける。
「流星は待機な?」
「分かりました」
 俺たちの格闘を静観していた流星は、特に異を唱えることもなく素直に頷いた。

 洞穴の中に身を屈めて入る悠木の後を追って、俺も洞穴の中に足を踏み入れた。入口は狭いが、やや下りながら奥に向かうにつれ段々と広くなっていき、三メートルほど先に進んだところでは、二人横に並んで立てるほどの余裕が出来た。
 悠木は先程の一件を引き摺っているのか暫く無言で、手に持った枝を使って進む先をつつき回しながら進んでいた。俺は全体を見回しながら、常に悠木を視界に入れて進んでいく。
 側面の壁はごつごつとした岩で出来ていて、触れるとひんやりと冷たい。下はかろうじて地面が見えてはいるが大小様々な石が転がっていて歩き辛く、気を抜けば転んで頭を打ってしまいそうだった。
「ギャッ!」
 何となく立ち止まって天井を一瞬見上げていたとき、少し先の方で悠木が悲鳴を上げた。見ると、悠木は酷くのけぞった状態で固まっていた。どうやら枝で転がした石の下にムカデが潜んでいたらしい。ムカデは追い払うまでもなく、慌ててどこかへ逃げて行ってしまった。
「……枝でつつき回すの、やめた方が良くないか?」
「そ、そうする……」
 悠木は枝をパッと投げ捨てた。
「……カズは、今ここでライトを点けても大丈夫だと思う? コウモリとか虫が飛んできたり……?」
「は、しないだろ。多分」
「多分って。じゃーもし、スイッチを入れた途端に奴らが大量に飛んできて、俺の体をガーッと覆って一瞬のうちに骨まで食い尽くしたらどうする? かなり有り得るよな?」
「いやそれは有り得ねーから」
 悠木はうーんと思案顔で唸った後、デイパックからライトを取り出し、恐る恐るスイッチを入れた。もちろん、視界が明るくなったこと以外には何も起こらなかった。
「うん、よし……!」
 妄想の中の大惨事を回避出来たことで気が大きくなったのか、悠木は鼻歌まで歌い始めながら奥へと進んでいく。洞穴は高さ三メートル、幅四メートルほどを最大値として、奥へ進むにつれまた少し狭くなっていった。足元の石は段々少なくなっていき、入口から十数メートルほど先、最奥の祠付近になると、普通に両足で地面を踏めるようになった。土はやや湿り気を帯び、辺りの空気は心なしか淀んでいる。
「おーい流星! こっちにおいで~。足元に気を付けてな~!」
 悠木が大声で外の流星に呼び掛ける。流星はすぐに入口から顔を見せ、無駄のない動きで石の上を渡ってきた。
「近くに川があるみたいですね」
 俺たちの元に辿り着いた流星は開口一番にそう言った。
「えっ、マジ? 見えた?」
 悠木の問いに流星は首を横に振った。
「いえ。でも音が聞こえました。多分、下の方で見えていた川だと思います」
 魚が取れる川がある、と森川さん達は言っていた。その川だろうか。
「川かぁ……うん、よし。決めた。次来たときは絶対その川を見に行く。何か流れてくるかも」
「何かって?」
「そりゃ何かだよ。アストレアの髪の毛とか」
「髪の毛って」
「アストレアがこの辺の生まれだって言ってただろ? 小さいときアストレアはよく川で水浴びしてたんだよ。その時の髪の毛が流れてくるかも」
「…………」
 たとえ異世界の川とこの付近の川が奇跡的に繋がっていたとしても、流れてくる髪の毛を掬い上げられる確率は限りなくゼロに近いだろう。
「――まぁそれより今はまず! こっちを調べないと」
 悠木は奥にライトの光を向け、洞穴の最奥を陣取る祠の全容を照らし出した。
 高さ約一メートル、横幅約二・五メートル、奥行き二メートルほどの石壇の上に、和風のミニチュアハウスのような木造りの箱がある。高さは三角屋根を含めて約一メートル、横幅と奥行きは約一メートル弱。
 殆ど岩のような大きさの石を積んで作られた石壇はともかく、木造りの本体は相当腐食が進んでいる。三角屋根はあちこち歪んで穴が開いているし、中央にかんぬきが付いた両開きの扉は左側が三割、右側が六割ほど欠けていて、右側は殆ど本体から取れかけている状態だ。中には以前は何か入っていたのかもしれないが、今はただの空洞に見えた。
 誰かが壊した、というよりは、誰にも気に掛けられないまま何十年と経って、自然と壊れていった――というような印象だった。
「……あー……何ていうか、歴史ある感じ……? 年代物っていうか」
「かなり古そうですね」
 悠木の呟きに流星が同意する。
「うーん……? アストレアっぽさはあんまり無いなぁ……つか、触っても大丈夫だと思う? カズ」
「何で俺に聞くんだよ。……いや、駄目だろ。崩壊しそう」
「だよなー、やっぱ」
 悠木はそう言いながら石壇を見る。丈夫そうだが、悠木はここに乗ってみてもいいか、とは聞かなかった。この寂れた山の、名も知らぬ祠に畏敬の念を覚えたのか、あるいはこの薄暗い雰囲気に怖気づいたのか。
 多分、後者だろうと思った。この古びた祠は洞穴の外で覗き見たときよりもずっと不気味に見え、辺りには暗く、じめじめした空気が漂っている。罰当たりなことを言えば、神仏よりも、おどろおどろしい妖怪や化け物たちが住まうに相応しい場所に見えた。
「うーん……」
 ライトの光は石壇の周りを照らす。横にも後ろにも殆ど隙間がない。もし石壇に上がって祠の裏側をじっくり眺めたとしても、大した成果は得られないだろう。
 ――悠木もそう思ったのか、やや落胆した様子で溜息を吐いた。
「んー……、とりあえず出よっか、二人とも」
 俺と流星は頷き、悠木と一緒に外に出た。


 空は夕焼け色に濃く染まっていた。悠木は携帯を取り出して辺りを写真に収めたり、田上さんの地図を眺めながらぐるぐると近くを歩き回ったりし始めた。
 暫く時間が掛かりそうだったし、現時点で俺たちが手伝ってやれそうことはあまりなかったので、俺と流星は手頃な石の上に腰掛け、雑談しながら悠木の様子を眺めていた。
「そういや、川って?」
「あっちの方。聞こえる?」
 流星が指差したのは、舗装された道とは逆の方角だった。俺たちが座っている場所から十メートルほど先は、もう草木が密に生い茂ってる。
「……聞こえるな。微かに」
「次、もし見に行くなら昼間が良さそうだね」
「だな」
「魚、いるのかな?」
「上流の方はいそう」
「……カズくんは向こうの家の近くの川にメダカがいたの、覚えてる?」
「あぁ……覚えてる。一回、捕まえて持って帰ったよな」
「うん。バケツと網を持って行ったね。あんまり泳いでなかったけど、結構簡単に捕まえられたような気がする」
 家で飼おうと言い出したのはどちらだったか。俺たちはバケツを持って川に行き、二人で五匹のメダカを捕まえて家に帰った。当時流星の家には熱帯魚が泳いでいる水槽があり、そこで飼おうという話になったのだ。それで持って帰ったメダカを水槽に入れたはいいが、すぐに全滅してしまった。ろ過装置に巻き込まれて一匹、元の住人に齧られて二匹、残りの二匹は環境に慣れることが出来なかったのか、ある日無傷のまま浮かんでいた。
「もっとちゃんと調べてから飼ってたら良かったね」
「そうだな。せめておじさんかおばさんに相談するべきだったと思う」
 流星は五匹の死から二週間ほどの間、ひどく悲しげな顔をしていた。泣き喚いたり、涙の跡を見せたり、メダカの死のことを何度も口にしたりしていたわけでもないので、全く気付かない人もいたが、流星は静かに五匹のことを悼んでいた。
「でも、金魚はまだ生きてるよ」
「あの金魚?」
「そう。あの金魚。二匹ともまだ元気だよ」
 メダカの死から数か月後、流星はまた魚を飼いたいと言い出した。
 それで俺たちは魚の飼育についての本や魚図鑑を、近くの図書館や学校の読書コーナーから借り、どっさりと知識を集めた。飼う魚に金魚を選んだ後、近くに住んでいた魚好きのおじさん――同級生の父で、珍しい水棲生物を何十匹も飼育していた人から何日も掛けて話を聞き、ペットショップの店員を散々質問攻めにして、もうこれ以上は金魚について詳しくなれないと互いに納得してから、二人のお小遣いで金魚を二匹買った。
 当時うちには隣の家の猫がよく出入りしていたので、金魚は流星の家で育てた。名前は当時流行っていたヒーロー番組の登場人物にちなんで付けていたのだが、途中で一人が酷い悪役に堕ち、もう一人が途中でヒーローをやめてしまったので、いつからか元の名前ではなく一号、二号と呼ぶようになった。
 ――ここ二、三年は殆ど思い出すこともしなかった。流星が可愛がっていたあの二匹の金魚は、遠い昔の記憶の中に埋もれていた。
 だが俺は、流星の片付いた部屋に響くエアーポンプの小さな音を、二匹の金魚の鮮やかなオレンジ色を、金魚の泳ぐ様をじっと眺めている流星の横顔を、今はまざまざと思い出すことが出来た。
「生きてたんだな、あの金魚……」
「うん。今は母さんに預けてるんだ。こっちに連れてくることも考えたけど、長距離を動かすのは良くないかと思って」
「そっか」
 おばさんなら、流星と同じくらいマメに世話をしてくれているだろう――そう思った時だった。
「よし! 分かった!」
 両手に地図を持ち、瞑想でもするように座って洞穴を見ていた悠木が急に大声を上げた。
「分かったって、何がだよ?」
 尋ねると、悠木は振り返って満面の笑みを見せながらこう答えた。
「もちろん、全てが!」
←前の話へ 次の話へ→ topページに戻る