15.祠

「なぁカズ」
 電車を出てから数歩も進まぬ内に、悠木は俺の前に立ちはだかった。
「何だよ」
 悠木は厳しい表情でこちらを睨みつけ、俺の鼻先に人差し指を近付けると、
「つ、づ、き。……読むなよ! 絶対禁止!」
 リズムをつけて指をタンタンタンと振りながら強い口調で命令してきた。そういえば昔こんな風に叱る教師がいたな、と俺は無関係なことを思い出す。
「……何で?」
「何でって、ハズいから」
「別に恥ずかしくないだろ。誰も俺の手元なんて見てねーよ」
「ちげーし。誰が見てるとかじゃなくて、俺が! 恥ずかしいの!!」
「意外と『ケイジ』の出番が多かったから?」
「……分かってんじゃん。そうだよ。特に小説版は他の媒体と違って出番が滅茶苦茶多いんだよ! ……ていうか中学のときはあんなにラノベにも漫画にもアニメにも興味ないって言ってたくせに! 今更読むとか! 裏切者!! 俺にこんな辱めを受けさせるなんて!!!」
「辱めって、お前――」
「カズのえっち!! バカッ! エロバカッ!! むっつりどスケベ野郎!! 超絶セクハラ大魔神!! ケダモノーー!!!」
 悠木は叫ぶように言い、ホームにいる数人の客全員の視線を集めながら、改札へと全速力で走り去っていった。
 改札の先にその必死な後ろ姿が消えると、悠木に集まっていた視線は俺と流星の方へ向けられたが、そこに悠木に同調するような非難の色はなかった。何が起こったのかと、ただ不思議に思っているだけのようだ。
 だが――気まずいは気まずい。
「…………」
 何となく隣にいた流星に顔を向けると、目が合った。
「……本、貸さない方がよかった?」
「いや……」
「どこに行ったんだろ? 慧さん」
「バス停のところだろ。俺だけならまだしも流星がいて、そんなに遠くには行くわけねーし」
 悠木の後を追って駅を出た。バス停があるという右手の方を見ると、俺たちから二十メートルほど離れた歩道で俯せに倒れている人間が目に入った。
 水色のシャツに、少しだけ見えた柄ネクタイ。ツイードのパンツ。水色の紐を合わせた黒のスニーカー。グレーのデイパック。
 デイパック以外は例によってアストレアのキャラクターの――そう、『ケイジ』の模倣なので一目で分かった。悠木だ。足が俺たちの方を、頭がバス停の方に向いているところを見ると、おそらくバス停に向かう途中で転んだのだろう。
 悠木は俺たちがその姿を認めてから数秒と経たない内に、むくりと頭を上げた。
「おい、悠木!」
 声を掛けると、悠木は体を起こしながらこちらを振り返った。そして俺と流星を順に見てニッと笑い、親指を立ててみせてから、近付いて行こうとした俺たちにジェスチャーで何か伝えようとする――『ちょっと』『そこで』『静かに』『待ってろ』?
「いや何でだよ」
 思わず呟き、流星と顔を見合わせて、また悠木の方を見る。
 悠木は近くから何かを拾い上げる動作をし、それから数メートル先にあったバス停まで歩いて行った。そしてベンチに一人座ってゲームをしていた小学三、四年生くらいの少年の前に立って屈みこみ、声を掛けながら、先程拾い上げたそれ――カード状の何かを差し出した。
 少年は見知らぬ高校生を警戒心も露わに見た後、差し出されたものに視線を落とし、悠木の手からそれを受け取った。少年の落とし物だったのだろう。
 悠木は何故かベンチには腰を下ろさず、少年と目線を合わせるように腰を低くし、更に何か言葉を発した。どうやら話を続ける気らしい。少年は内心『何だこいつ』と思っているに違いないだろう顔でそれに応対する。
「知り合い……かな?」
 流星が尋ねる。
「違うだろうな」
 俺は駅の前の花壇を囲む煉瓦ブロックに腰を下ろした。流星も隣に座り、俺たちは《文鳥》を出たところで悠木から『支給品』とそれぞれ渡されたペットボトルのお茶を飲みながら、悠木を待つことにした。
 線路は一本、自動改札機も一台だけの小さな駅。周りが栄えている筈もない。近くには白線で区切っただけの駐輪場とシャッターが閉まった店しかなく、目ぼしいものといえば、やや離れた場所に『くらいしマート』と看板を掲げる年季の入った感じの店が一つと、ブランコと鉄棒が並ぶ小さな公園があるきりで、他に見えるのはまばらに生えた木々と民家くらいのものだった。
 本当に何も無いところだ、と思いながら辺りを見回しているうちに、バスがやってきた。少し遅れてきたが、おそらく俺たちが乗る筈のバスだろう。流星と俺は殆ど同時に互いの顔を見、頷いて立ち上がった。
 悠木もバスに気が付いたらしく、パッと立ち上がって俺たちに大きく手を振った。
 俺たちがバス停まで行くと、悠木は少年に大急ぎで別れの挨拶をし、ちょうど止まったバスに俺たちを急かしながら乗り込んだ。


「で?」
 俺と流星は後ろから二番目の二人掛けシートに、悠木はその前のシートに腰を下ろし、足を通路側に出して顔を俺たちの方に向けた。俺たちと入れ替わりに三人降りて、車内に残った先客は一人きり。六十五から七十くらいの年と思われる小さなご婦人は、運転席のすぐ傍、最前列のシートに座っていた。
 バス停の少年が乗らなかったのは、悠木とこれ以上関わり合いになりたくなかったからだろうか、と思う。
「で、って? 何の話?」
「大丈夫なのかよ。転んだんだろ?」
 目視で大丈夫そうだと確認していたが、一応尋ねる。
「転んでないし! 俯せになってただけ」
「歩道で?」
「人いなかったし別にいいだろ。俺にはあそこに寝転がる権利があったの!」
 その権利を行使する意味はどう考えても無かったと思うが、追及するのはやめておくことにした。
「……で、俺たち待たせて、お前は何話してたんだよ、あの子と」
「ん~? え~、にゃににゃに、カズくんってば聞きたい? 聞きたいんですか? とーっても聞きたいんですか?」
「聞きたいです」
 流星が答えた。俺に勿体ぶった笑みを向けていた悠木は、流星の方に顔を向けて嬉しそうに頬を緩めた。
「さっき転……俯せに寝てたときに、トレーディングカードが手元に落ちてるのに気付いたんだよ。まだ綺麗だったから、落ちてそんなに時間が経ってないだろうと思って、見たらバス停にそのカードを持ってそうな年頃の小学生がいるじゃん? これは運命だと思って聞いてみたんだよ。そしたらやっぱりその子が落としたものでさ。で、あの子にこの辺の言い伝えを知らないかって聞いたらビンゴ! 知ってるって。親戚のおじさんに聞いたらしい」
「……俺たちを遠ざけてた理由は?」
「高校生三人で囲んだらカツアゲって勘違いされるだろ! 特にカズは何か怖いし」
「おい」
「で、その子……さっき近くにあった『くらいしマート』の子らしいんだけど、倉石くんが知ってるっていってたのはやっぱ聖女伝説だった。あの山、俺たちが今向かってる山の麓の方に、昔どっかのお城のお姫様が隠れ住んでたんだって」
「へぇ……」
 窓の外にはひたすら田んぼと畑が広がっている。時折民家が見えるのがせいぜいで、高層建築は一つも見当たらない。かなり遠くの方に、学校とスーパーらしき建物が見えた。
 悠木がアストレアの城と重なると言っていた工場は、駅から今の進行方向とは逆に進んだところに建っていた為か、目視でその存在を確認することは叶わなかった。
「元々住んでたお城の方で戦が起こって、お母さんの実家と縁があったこっちの方に逃げ込んできたんだって。お母さんは道中で亡くなって、お姫様と御付きの者だけが暮らしてたらしい。で、逃げ込んできたこっちの方は戦渦に巻き込まれはしなかったんだけど、どうも鬼が出るところだったらしくて、お姫様もその鬼に襲われて亡くなってしまったらしい。それで聖女として祀られるようになったって」
「……終わり?」
「終わり。倉石くんが覚えてたのはここまでだった」
 何だか釈然としない話だった。鬼に殺されたお姫様が聖女として祀られるようになる理由が分からない。
「あの、慧さん。それなら、そのお姫様を祀ってる場所が近くにあるっていうことですか?」
「おおっ、さすが鋭いな流星! 俺もそう考えたんだよ。倉石くんは知らないって言ってたけど無いとは言ってなかったし。俺たちはまずそれを探すべきなんだと思う。絶対それがアストレアに繋がってるから」
「探すって言っても、すぐ暗くなる時間だろ?」
 『絶対それがアストレアに繋がってる』という確信に満ち溢れた口調の方が気になったが、胸の内に収めた。
「ライトは持ってきたし、バスの最終は七時四十分だから……あっ! 流星は大丈夫?」
「十時までに帰れれば問題ないです」
「遅くなるって親御さんに連絡は……」
「はい。お店を出るときにしました」
 悠木はにこりと笑った。
「良かった。……ってことで問題ないよな、カズ?」
 頷くと、悠木は「よし」と満足そうに言って前を向いた。


 田舎道を十分ほど走ったところでバスを降りた。半径百メートル以内にバス停以外の目印が何もない、田畑とまばらに建つ民家に囲まれた場所だった。
 悠木は同じ場所で降りた先客の女性に素早く話し掛けた。
「あの、こんにちは! どうも!」
「あら、どうも」
「この辺の方ですか?」
「そうねぇ、あっちにちょっと行ったところ。あなたは? この辺なんにも無いでしょう」
「それがですね、俺たちちょっと調べものしてて……あ、荷物持ちますよ! 俺たちもあっちの方に用事があるんで」
「あらまぁ、そんな、どうも御親切に」
「いえいえ」
「大学生の方? あら……あなたは外国の方?」
 老婦人は流星を見て目を丸くする。金髪に青い目の容姿がこの辺りでは珍しいのだろう。悠木はすぐに首を横に振った。
「あ、全員高校生で日本人です。俺たち三人でこの辺のことを調べてて」
「何を調べてるの?」
「それがですねー」
 悠木は老婦人に付き添って歩き出しながら俺たちに合図する。ついてこい、ということだろう。俺と流星は二人のすぐ後ろを歩くことにした。
 老婦人に合わせてゆっくりと進みながら、悠木は定期健診の帰りだという彼女から色々と話を聞き出した。残念ながら聖女伝説については知らない様子だったが、祠については心当たりがあるらしい。舗装された道の近くにはなく、やや奥まった所にあり、この辺りの住人でも知っている人間はそういないので、闇雲に歩いていても見つからないだろう、という話だった。それを聞いた悠木が運命の導きについて確信を深め、俺と流星を『ほらやっぱり!』という顔で振り返ったのは言うまでもない。
「高速道路が出来る前はほら、見えるかしら、あそこの山を越える人も多かったんだけど、出来てからはねぇ。山越えの道に近いし、魚が取れる川もあるから、こっちの道を少し上がると小さい旅館もあったのよ。十五年前はね。娘はそこで働いていたんだけど、潰れてからは旦那子どもと一緒に大阪の方に行っちゃったの。今は私とお父さんの二人きり」
「そうなんですか、大変ですね……」
「まぁ、二人で何とかするしかないのよ。ああ、そうだ。祠はお父さんに案内してもらうよう頼んでみようかしらね」
「えっ、いいんですか!?」
「いいのよ、散歩は体に良いって、いつもあの人に言ってるの」


 山の上の方から流れてくる細い川、田んぼや畑、農具が収まったトタン小屋を横目に見ながら、緩やかな坂を上っていった。老婦人の家に辿り着く頃には、空が微かに赤らみ始めていた。
「お父さん、お父さん。ちょっと。お客さんを連れてきたのよ」
 呼び掛けに応えて家の裏の畑から出てきたのは、老婦人より少し年嵩の男性だった。病院帰りの妻が連れ帰ってきた俺たちに面喰った様子だったが、事情を聴くと、俺たちを不審なよそ者から郷土史に興味を持つ勤勉な若者と捉え直したらしく、奥さんの勧めもあって『案内くらいなら』と立ち上がってくれた。
「次、来るならもっと早い時間に来なさい。こんな遅い時間に来ても、そんなに長居は出来んから」
 老婦人の旦那さん――森川さんは、俺たちの先頭を歩きながら言った。歩みは遅かったが、危なげではなかった。
「はい、そうします。あの、森川さんは聖女伝説ってご存知ですか?」
 悠木は尋ねた。
「さぁ、知らんな」
「じゃあ、祠のことは何かご存知ですか?」
「いや。昔からあったってだけだな。俺もばあさんもこの辺の出じゃないから」
 坂道を十分ほど上った後、森川さんはふいに道沿いの林の中へと入っていった。道らしい道はないが険しくもなく、俺たちは背の高い木々の中を、落ち葉や枝を踏み歩きながら進んでいった。
「祠って言っても、あんたらが捜してるものかは分からん。どこにでもあるだろう、祠なんて」
「大丈夫です。この辺りにある祠っていうのが重要なので!」
 悠木はまるで遊園地に初めてやってきた子どものように目を輝かせて、楽しげに辺りを見回していた。俺と流星はそんな悠木と先を歩く森川さんの後ろ姿を見、二人の会話を聞きながら付いて行くだけだ。
「そういやこの辺にはサルがたまに出るんだが、見掛けても目を合わせちゃならんからな。エサをやるのもならん。イノシシは……まぁ、この辺は滅多に出ることもないし、あんたがうるさいから寄っては来ないだろうが、奥に行き過ぎないように」
「えっ、えっ? イノシシ!? じゃ、じゃあクマとか……? 出ますか?」
「クマは出ない」
「何だ……良かった」
 悠木はほっとしたように言う。
 森川さんは一瞬立ち止まり、山の上の方を見た。
「そもそも上の方は人の土地だからな。道路の方は進入禁止の札があるんだが……、あんたら、祠の他に見るものはあるのか?」
「いえ、今日は祠だけ見て帰ろうと思ってます」
「そうか。なら見て満足したら今来た道を戻ればいい。分からなくなったら下っていけば、そのうち大きな道に出る」
 急に道が開けた。
 木々の代わりに大小様々な石と岩がごろごろと転がり、その間を縫うようにして草花が生えている。
 森川さんが山の上の方に顔を向けたので、俺たちも自然とそちらに目を向けた。
 ――驚いた。
 俺たちの眼前には岩壁がそびえ立っていた。高さは七メートル、横幅もそれくらいあるだろうか。岩壁の下部には窪みが――洞穴があった。高さ・横幅は共に一メートルほどだ。薄暗くて奥の方までよく見えないが、祠らしきものの影が見えたような気がした。
「あっ! あっ!! あった、あったぁーーー!!!」
 悠木は歓喜の声を上げ、岩壁の方に走り寄って行った。すかさず森川さんが「足元に気を付けなさいよ」と声を掛ける。
「あっ、はい、すみません! あの、ありがとうございました!」
 森川さんは軽く手を上げて礼に応える。流星と俺も「ありがとうございました」と頭を下げた。森川さんは頷き、それから俺の方を見た。
「なぁ、見たところ、あんたが一番年長だろ? 二人を見ててやりなさいよ。特にあの子は何だか危なっかしいからね。それに……」
 俺と悠木は同い年です、と口を挟むことはせずに、森川さんの言葉を待つ。
「この辺の生まれの人間に聞いたことがある。何でも、昔はここらに鬼が出てたんだとさ」
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