13.冒険の地図

「それ中学の時のだろ?」
 指摘すると、悠木は「筒? そうだよ」とあっさり認めた。
「すげージャストサイズだったから中学卒業してて良かったなーって思った」
 悠木が筒から丸まった謎の紙を取り出すのを、俺と流星は無言で見つめていた。
 紙ナプキンでさっと拭われたテーブルの中央に置かれたその紙は、卒業証書と同じくらいの大きさと厚みを持っていて、薄らと見える染みから考えると、内側になっている方の面に何かが描かれているようだった。
 紙は悠木の手によって丁寧に広げられ、また丸まらないよう筒の本体と蓋とで端を留められた。
「……地図?」
「……地図ですか?」
 俺と流星は同時に呟いた。
「そう。地図。見たまんま地図だよ」
 紙に描かれていたのは、そう、地図だ。
 だが普通の地図とはかなり趣が違う。普通の地図帳に載っていそうな形式ばった堅い雰囲気のものでも、商業施設のリーフレットに載っていそうな分かりやすくポップなデザインのものでもない。
 何というか――簡単に一言で表現するなら、ファンタジー映画にでも出てきそうな地図なのだ。
 長い時を経て紙そのものが劣化した風の黄ばんだ下地に、四種類ほどの色で緻密に描かれた山や河川の絵に、幾本も伸びた道、そして地名らしい外国語の文字。発色は抑えられていて、下地の色と調和して古びた雰囲気を醸し出している。
 左上の方位マークや、下部の巻物を開いたようなスペース――日本語でも英語でもないので読めないが、きっとこの地図が一体どの地域のものなのか表しているのだろう文字が書かれた場所――も、全体的な印象と合致していて、どこのものとも分からないこの地図が、勢いのまま描かれたものではなく、誰かが時間を掛けて作り上げたものだということは誰の目にも明らかだった。
「……で、何の地図なんだ?」
 地図から視線を上げて尋ねてみると、悠木は『よくぞ聞いてくれた』と言わんばかりの笑みを浮かべた。その笑みは大抵トラブルの前兆であることを、俺は悠木との数年の付き合いで学習していた。
「何の地図かって? そんなの決まってんじゃん。冒険の地図だよ!」
「冒険って……、じゃあアストレア関係の?」
 悠木が訳の分からないことを言い出した場合、それは九割がたアストレア関係の話だ。
「んー、それと市内の地図」
「は?」
「ほら、薄い青の線があるだろ? これがリブラ――アストリアの生まれた国の地図から、大きな道と主要な建物とか山とか河川だけを抜き出して写した線ね。あとリブラの地名もその色で書いてる。茶色の線は市内の……っていうか北区の端の方の地図を、良い感じの雰囲気で描いたやつ」
「ああ……本当ですね。薄い青の線、三巻から載ってる地図の線だ」
 じっと地図を見つめていた流星が呟く。悠木は驚いたように隣を見た。
「え、流星、三巻見たの? ってか小説の方?」
「小説の方です。五巻まで読みました」
「マジか」
 よほどの衝撃だったらしく悠木は少しの間黙っていたが、我に返ったように地図へと向き直った。
「見てもらったら分かると思うけどさ、一致してんだよ、リブラと俺らの住んでるこの世界の線が。ほら」
 悠木の指がゆっくりとその『一致している』という線をなぞるのを、俺と流星は視線で追っていく。
 ――だが。
「……なぁ、悠木」
「なに?」
「いや……一致してないように見えると思うんだが、気のせいか?」
 俺が言うと、悠木は指を止め『こいつは何を言っているのだろう』という目で俺を見た。おそらくそれは俺が悠木に向けている目と同じだ。
「三十パーセントは一致してる」
「……それは普通、一致してないって言う」
「いやいやいやいや、全体としては一致してないってだけで、三十パーセントの線は殆どぴったり重なるくらい一致してるんだよ。ほら、この辺りとか。まぁ少しズレてはいるけど城と工場、それに横の川の流れがほぼ一致してる。それにこことか……ほら、よく見ろって。アストレアが人として生を受けたその地と、北区の山の麓辺りとが完全に重なってる。な? これって完全に奇跡だろ」
「…………」
 流星も無言だ。
 縮尺も違えば、建物や森や河川などの位置も半分以上ズレた上で、ごく限られた場所の地形が一致しているのはおそらく――いや、間違いなく奇跡ではない。こじつけと言ってもいいレベルだ。
「俺、ずっとリブラと一致する現実世界の場所は無いかなーって地図で探してて、こないだやっと見つけたときは超興奮した。だってさ、ギリシャでもイタリアでもなくて日本の、それも俺たちが住んでる市の中……いや流星はギリギリ市外だからほんの少し離れてはいるけど、俺たちが住んでる場所のすぐ側にあったなんてさ!」
「……アストレアの作者がこの近くに住んでる、っていう可能性は?」
「無い。作者の公開プロフィールによると生まれはここから五百キロ離れたところだし、国内では他は東京にしか住んだことないって。今はイギリス在住だし。絶対ここはモデルにしてない」
「……この地図はどこから持ってきたんだ? ただ合成したわけじゃないんだろ?」
「そりゃもちろん。しえりちゃんに作ってもらいました。で、昨日の夜遅く出来たって連絡受けて、今朝受け取った」
「は? 田上さん?」
「うん。今日まで秘密にしてもらってたからカズは知らないだろうけど……知らなかったよな?」
「ああ、地図のことは。……そういや何か、二人で話してたよな。あの時に?」
「そう。最初は合成した画像の印刷を見せて、これからどうやったら綺麗な地図に出来る? って相談してたんだよ。しえりちゃん美術部だし、アドバイス貰おうと思って。で、そのうちしえりちゃんが『私が描こうか?』って言ってくれて、それに俺が甘えて作ってもらった。俺、全く絵心無いから助かったよ」
 悠木はそう言うが、見ている限り、絵心が本当に無いわけではない。ただ――本人はあまり語りたがらないが、トラウマがあるのだ。
 小学生のとき悠木は、隣の席のクラスメイトとペアになって相手の絵を描くという授業で、相手の女子の産毛や毛穴、肌荒れまでしっかり描き込み過ぎたせいで酷く泣かれたことがあるそうだ。それ以来悠木は絵筆を持つと頭にその時の女子の顔を思い浮べてしまい、冷や汗で制服のシャツがびっしょりと濡れるまで追い込まれてしまう。
「あの……慧さん」
 それまでじっと地図を見ていた流星が、唐突に声を発した。
「ん? なに?」
「わざわざこうやって新しく地図を作ったのには、何か意味があるんですか?」
 悠木はパチンと指を弾いて音を鳴らし、弾いた形のまま人差し指を三回振った。
「あるよ! あるある! さすが流星は目の付け所が良いし最高! そう、わざわざこの地図を作ってもらったのには死ぬほど重要な意味があるんだよ……これからの俺たちの運命を決定づけることになる意味が!」
 そして悠木の人差し指が俺を指す。何かを促すかのように。
「……何だよ、その意味って?」
「んー? 何だよカズ、そんなに聞きたい? どうしても聞きたい?」
「いや別に」
「は!? 何言ってんだよカズ、聞きたいだろ!? 聞きたい筈だろ? 聞きたいって言え!!」
 ここで拒否すれば嘘泣きにプラスして一時間ほどの拗ねた態度が待っている。俺は溜息を吐いた。
「聞きたい。……で、意味は?」
 悠木はニヤリと笑い、人差し指で地図のある一点を指した。薄い青で地名らしき文字が書かれた場所だ。
「ここ。ここに何かが絶対ある。だからそれを探しに行く為の道しるべとして、この地図は重要なんだよ」
「何かって何」
「何かって、そりゃ何かだよ」
「……その何かがあるっていう根拠は?」
「根拠って、アストレアが生まれた村と対応するこの場所に、まさか何にも無いわけないだろ? それに常連さんにこの辺りのこと聞いてみたら聖女伝説があるとかないとか言ってたし……あと山道のどっかに祠があるかもしれないらしい! な? 凄いだろ?」
「……つか探しに行くって、誰が? お前が行くの?」
 工事の間はおそらくバイトも休みだ。その期間を利用していくつもりなのだろうか、と思って尋ねる。
「ん? いや……もし流星さえ良かったら一緒に、って思ってるんだけど……駄目かな?」
 悠木は急にテンションを抑え、控えめな声で言いながら隣の流星を見る。
「俺と慧さんの二人で……ってことですか?」
「ううん。カズも行くよ」
「俺まだ一言も行くなんて言ってねーんだけど」
「え、行くだろ?」
 当然行くよな、という顔で悠木は俺を見る。しかし事前に誘いや相談を受けた覚えは全くない。
「……つか、行くっていつ行くんだよ?」
 今日これからなのか、それとも工事が始まってからなのか。
「んー、今日これから下見程度に見に行こうかなとは思ってる。で、このビルの工事……基礎の方にも入るらしくて工期は最低五十日ってことになってるから、その間に詳しく調査するつもり」
 そう言いながら悠木はくるくると地図を元通り丸め、筒の中に仕舞い込んだ。そしてそれをバッグの中に収めて肩に掛け、立ち上がる。
「ってことで俺は今から行くけど、二人はどうする?」
 俺と流星は顔を見合わせた。
 妄想の上に妄想を重ね、その重ね合わせた妄想を元に導き出した妄想を根拠に、悠木は何かを始めようとしている――ファンタジー世界の勇者のように、冒険の地図を持って。
 俺はともかく、流星をこの訳の分からない小さな冒険に巻き込んでいいものだろうか。多分今日行けば、その後もズルズルと付き合う羽目になる。なら今ここが止め時なのではないのか?
「流星、お前は――」
「行きます」
 俺は言い掛けた言葉を飲み込んで目を瞬いた。
 ……今、流星は何て言った?
「マジで!? やった! 行こう行こう! 今すぐ行こう! ほら、カズも立てよ! 流星が行くならカズも絶対行くだろ? ほら! ほらほら!! ほらほらほら!!!」
「……あー、分かったから落ち着けよ」
 狂喜のあまり幼児のようにその場で飛び跳ねる悠木に急かされて、俺は伝票を手に取りながら立ち上がった。
 流星の方を見ると目が合った。いいのか、と声に出さずに尋ねる。流星は頷き、微笑んだ。
「行こう、カズくん」
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