6.想像もしなかったこと

 最初の数秒は、何が何だか分からなかった。藤崎の口にそれを銜えられるなんて、想像すらしたことがなかったのだから当たり前だ。靴のままで股間に蹴りを入れられたり、的に見立てて石を投げつけられたりしたことはあっても、直接触れられること、それも粘膜に迎え入れられたことなんて一度たりともなかった。
 気持ちいいと思うよりも戸惑う気持ちの方が圧倒的に強く、感嘆符と疑問符が弾幕のように思考を支配する。何で、どうして、何のために? そこにある恐ろしい考えが浮上した――もしかして、噛み切るつもりなんじゃないか。可能性に気付くと同時に、藤崎の歯が竿の部分を掠めた。
「い、痛っ、痛い! 嫌だ、藤崎、嫌だって言ってるだろ……!」
 次に襲ってくるかもしれない痛みを予期してパニックを起こしたのか、それとも本当に痛かったから叫んでいるのか自分でも分からないまま、僕は先程よりも強い恐怖に駆られて藤崎を押し退けようとする。だが藤崎はびくりともせず、片手でペニスの根元を掴み、もう片方の手の平で陰嚢を包み込んだ。そして一旦口を離し、僕を不機嫌そうに睨んだ。
「気持ちよくしてやろうっていってんだよ。あんまりゴチャゴチャうるさいと握り潰すぞ」
 ひっ、と僕の喉から意図せずして声が出る。藤崎は本気だった。恐ろしさにぴたりと抵抗をやめた僕に、藤崎はまた口元を近付けた。すぐにまた飲み込まれる。
 藤崎は頭を上下に動かし始めたが、僕は気持ちよくなるどころか恐怖に慄くだけで、ペニスは勃起する気配すらなかった。同じ男なのに何故あんな残酷なことを言えるのか不思議で堪らない。もしタイムマシンがあるなら、好きにしろと藤崎の前に体を投げ出した数分前の無気力な自分を、どんな手を使ってでも正気に戻してやりたかった。
 数時間のようにも思える数分が過ぎて、藤崎は僕のそれを口から出し、苛立ったように舌打ちをして溜息を吐いた。それから暫く萎えたままのペニスをじっと眺めていたかと思うと、今度は舌を這わせ始めた。僕は相変わらず怯えていたが、歯が少し離れたことで幾分力を抜き、柔らかい舌の感触をくすぐったく思い始めた。ぺろぺろと犬のように舐めてくる舌に悪意は感じられない。くすぐったさはやがて快感に変わっていった。握り潰すぞと脅しを掛けてきた手はいつの間にか太ももに置かれていて、今の藤崎はただ懸命に僕を刺激しようとしているだけのように見えた。
 気持ち良い、と感じ出してからはあっという間だった。僕の性器は手の平を返したようにみるみる膨張していき、固く張り詰める。藤崎はふいに舌を離すと、さっきのように口の中に入れようと唇を開いた。緊張を取り戻した僕に、今度の藤崎は乱暴なやり方で触れようとはしなかった。そろりと優しく唇で先端を銜え、歯が触れないように気を付けてか躊躇いがちに頭を落としていく。それは腰が抜けそうになるほど気持ちが良かった。狭い咥内は味わったことがないような柔らかさで僕を迎え、行き場所を無くして動く舌は絶妙な刺激を与えてくる。藤崎は何度か口を離して軽く咳き込み、また銜え込んでは口を離すということを繰り返していたが、最後には根元まで口の中に収めてしまった。
 ――今、僕の股の間に藤崎がいて、その顔に僕の陰毛が触れている。信じられないような光景だった。僕はシーツを握り締めて快感に耐えるしかなく、藤崎が何のためにこんなことをしているのか深く考えることも出来なかった。
 藤崎は鼻で息をしながら、ゆっくりと僕を口の中から出し始めた。ぬるぬると動く舌が唾液と先走りを絡めてはペニス全体をじっとりと濡らしていく。それはあまりに淫猥な図で、今僕が感じている途方もない快楽を抜きにすれば、夢か何かのようだった。
「うあ……」
 最後に藤崎は先端の穴をぐりぐりと舐めながら唾液を垂らした。それが本当にどうしようもなく気持ち良くて、僕はとうとう抑えていた喘ぎ声を漏らしてしまった。どうか同じことをもう一度して欲しかった。奥まで銜え込んで、射精するまで舐め続けて欲しかった。だが藤崎は僕のものから手を離し、顔を上げてしまった。
「じっとしてろよ」
 久し振りに声を発した藤崎は僕を欲情し切った目で見つめ、返事を待つことなく僕の腹の上に乗っかった。スウェットの股間部分が盛り上がっているのが見える。信じられないことに、藤崎は僕を口で愛撫しながら勃起させていたらしい。
「じ、じっとしてろって……何で」
 そう問いながらも、僕の頭はこれから起ころうとしていることに感付き始めていた。だがまさかそんなことが起こるわけがない――だってこれまで一度もそんなことは起こらなかったし、起こる筈がなかったのだから。
 藤崎はスウェットを膝まで下ろした。下着も一緒に脱いだらしく、完全に勃起したものが現れる。藤崎のそれは僕を嘲笑するだけあって平均より大きめで形もいい。それが今そそり立って先走りを垂らし、爆発寸前まで昂ぶっている。僕の心臓も破裂してしまいそうだった。
「じっとしてろよ」
 同じ言葉を繰り返し、藤崎は片手で僕の右手を押えつつ、もう片方で後ろ手に僕のものを取った。それから小さな尻で擦るように腰を揺らめかせた。
「ふじ、さき、藤崎ってば」
「うるさい」
「何で、何で……嘘だろ、駄目だよ、そんな、だってこんな……」
 黙ってろと言いたげに藤崎は僕を睨む。そしてぎゅっと僕の右手を握る手に力を入れ、尻を軽く上げて、どこかに僕のペニスの先端を押し当てた。藤崎の荒い呼吸と共に、何かが僕を刺激する。ぎゅっと窄めた唇が吸い付いてきたかのような感触。
「あっ、……え?」
 殆ど前触れらしいもの前触れもなかった。それは唐突に訪れた。藤崎も目を見開いて驚いていたが、一番驚いて声まで出してしまったのは僕自身だ。いきなり物凄く気持ちよくなったかと思ったら、止める暇もなく僕の中をそれが駆け抜けていったのだから。一度外に出し始めては今更栓をすることも出来ず、僕のそれは藤崎の尻に触れたまま精液を吐き出していく。僕らは唖然として見つめ合った。僕が脱力すると、藤崎は後ろに回していた手を二人の間に持ってきた。その白い手、肉の薄い手の平と指には僕が吐き出したばかりの精液が付着している。僕が荒い息を吐き出している間に、指の隙間で留まっていた滴がとろりと零れて、僕の胸に落ちた。生温かい。
「……ごめん」
 言葉が口をついて出てくる。何に向けての謝罪なのか自分でも分からない。藤崎は暫く身動ぎもせず沈黙を守っていたが、ふいに濡れた手を僕の胸に擦り付けてきた。汚れを拭うように手から胸へと乱暴に精液を移していく。
「ふざけんなよ、この早漏……童貞野郎」
 藤崎の声に滲んでいるのは怒りというより戸惑いのようだった。複雑な感情が浮かんだ顔には、水を差されても冷めきらない興奮が残っている。藤崎は苛立たしげな息を吐いて僕の右手を取った。そしてその手を自身の股間へと運ぶ――僕は藤崎のものを持たされてしまった。もしかして抜いてやった方がいいのかと反射的に考え始めたところで、藤崎は両手を僕の手に重ね、ぎゅっと握り込んで、激しく扱き始めた。
「わ……」
 僕が手の甲に痛みを感じて声を上げるほどその力は強かった。しかも先端以外は殆ど濡れていないせいで滑りが悪い。無茶なやり方だった。だが藤崎は力を緩めようともせず、目を閉じて腰まで動かし始めた。その口は微かに開いて、荒く濡れた息を吐き出している。
 そのうち、固く勃起したペニスの先端から漏れる先走りがぬるぬると全体に絡んで、段々とまともに滑るようになってきた。道具と化した手とペニスが擦れる、いやらしい水音が響く。
「あ、あっ、いい、気持ちいいっ」
 興奮した犬のように喘いでいた藤崎がついにそんな声を上げ出したので、僕は内心物凄く居心地の悪い気分になり、藤崎の顔から目を逸らしてしまった。いつもなら僕は恐怖か苦痛か不安で頭がいっぱいになっている頃だが、今は違う。藤崎一人だけが追い詰められている状態で、何だか見てはいけないものを見てしまっているような感じだった。これは非合意の暴力というより、単なる自慰だった。
 早く終わってくれと思っていると、藤崎は前屈みになって僕へと顔を近付けてきた。はあはあと吐く息が僕の顔に、耳に吹き掛かる。
「悟」
 僕の名前を呼ぶ声は掠れていて、思わずまともに見てしまったその目は悩ましげに濡れていた。心臓が跳ねて、今すぐ逃げ出したくなる。だが僕は空いた手で藤崎を押し退けようとはしなかった。体は動かず、息も出来ない。
 藤崎は手の動きを止め、僕の横に顔を伏せた。
「先っぽに、つめ、立てろ」
 くぐもった声。僕は少しの間天井を見つめ、それから藤崎の言う通りにした。親指を伸ばしてそこに爪を立てると、藤崎はその上に自身の指を重ねて更に圧をかけた。
「あああっ」
 鼓膜がびりびりと震え、僕の手の中で藤崎のものが揺れる。指先を掠めて熱い液体が飛び出してきた。それは僕の腹に、胸に飛び散っていく。気持ち悪い、という言葉が頭の中に浮かんできたが、心の底からそう思ったわけではなかった。藤崎の息遣いも、熱も、二人分の精液の臭いも、嫌悪感ではなく気まずさを感じさせるものだった。
 暫くの間身悶えしていた藤崎は、ふうふうと息を吐きながら少し顔を上げ、僕の手を解放した。やっと終わったのか。そう思ったのも束の間、藤崎はずり下がって僕の胸へと顔を落とした。
「ふじ……藤崎、な、何して……」
 汚いと言わんばかりに荒く擦り付けた筈の僕の精液を、吐き出しばかりの自分の精液を、藤崎はその舌で舐めていた。赤く濡れた舌先で掬い上げては口の中に運んで――ごくりと喉を鳴らす。藤崎の口で、喉で混ざり合い、胃の中にどろりと落ちていく二人分の精液を、僕は感じた。
「な……な……」
 驚きのあまりまともな言葉を発せないでいる僕を、藤崎はふんと鼻で笑った。
「何か文句でもあんのかよ」
 僕は文句どころか単語一つ口に出来なかった。
「はー、便所行きてー」
 藤崎は気の抜けた顔でそう言って体を起こし、スウェットと下着を片手で上げて立ち上がった。そしてシーツで手の平を擦って汚れを落とすと、ドアを開けて部屋を出ていった。
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