16.宗教

 二日目は朝から夕方まで死んだようにこんこんと眠り続け、夜になってようやく回復の兆しを見た。市販の風邪薬を飲んで眠っていただけで病院に行くどころかまともに食事もしなかったが、熱はそれ程高くならず、母さんたちの反応を見るに夢うつつの中で奇妙なうわごとを口にすることもなかった。
 大事を取って休むことにはなったものの、三日目の朝にはかなり良くなっていた。皆が仕事場や学校に向かった後、僕は自分の体が快復に向かいつつあることをベッドの中で確認し、久し振りに風呂に浸かることにした。

 体と頭を洗い、熱めのお湯に足を入れる。使い慣れたタオルで清潔さを取り戻し、入浴剤で緑色に色付いて香るお湯に浸かると、病原菌を綺麗に洗い流したという実感が湧いて気分が良くなった。
 湯気の中、ビニールのパックに入れた携帯を持って藤崎とのメッセージのやり取りを振り返る。僕の質問に対して藤崎は『別に』『何も』『うざい』という簡素で愛想のない言葉を返すだけで、体の具合や家のこと、瀬川の動向、一昨日の去り際のことも何一つ具体的に語ろうとはしなかった。しかし来週の土曜の約束のこととなると態度はがらりと変わり、執拗とも言える念押しを繰り返してきた。僕はそれに『忘れてない』『ちゃんと覚えてる』『約束は守る』と返しながら、何か言い知れぬ不安を感じさせる影がじわじわと足元に迫っているのを感じていた。

 浴槽から上がる頃には元のもやもやした気持ちに戻ってしまっていた。自室に戻り、シーツとカバーを替えたベッドに横たわって藤崎の言葉を思い出す。
『お前が俺を抱いて、俺の中に入れば、全部無かったことになる。全部。お前がそうなんだろ』
 改めて思い出してみると、妙に異様な感じのする言葉だった。熱があったときに聞いた言葉だ。聞き間違い、覚え違いの可能性はあるし、ニュアンスも少し違ったかもしれない。
 そんな風に考えてみても、喉に引っ掛かった小骨は一向に抜けなかった。
 そもそも僕が藤崎を抱く、というのは、藤崎が僕を犯す、という行為の代替として藤崎が思いついたものだ。藤崎はそれまでと同じように単なる性欲と暴力的な衝動の発散が出来ればそれでいい、ただ気持ちよくなれればそれでいいという意味でそれを求め始めた筈だ。それがどこで変わったのか――それとも初めから藤崎の中で別の意味や意図があって僕にそれを要求していたのか、どう考えてみても分からない。
 いや。違う。
 本当は藤崎が去り際にあんなことを言い出す前まで、僕は何か一つの真実を掴みかけていた筈だった。だが藤崎が僕に執着する理由、僕を求める理由、僕と一緒にいたがる理由、それを説明するただ一つの答えだと思っていたものは手の平から零れ落ちてしまった。
 藤崎のことが分からない。何を考え、何を思って生きているのか。何の為に僕を縛り付けようとするのか。
 僕は藤崎のことを知らない。僕と一緒にいないとき誰とどこで何をして過ごし、僕と出会う前にどこで何をして生きてきたのか、本当に兄がいなかったのかも、両親がどんな顔をしているのかも知らない。
 ――両親。
 ふいに瀬川が藤崎の両親について語った言葉と、金曜日に藤崎の家で開けた引き出しの中に目にしたものが脳裏に蘇った。
 携帯に手を伸ばす。躊躇う指を宙に浮かせ、逡巡の後にブラウザを開いた。覚えている文字を検索窓に打ち込む。そしてあっさりと『当たり』を引いてしまった。検索結果の一ページにあるサイトのURLを後ろめたさと共にクリックする。
 そこには一見、僕が想像していたようなおどろおどろしさや怪しげな雰囲気はなく、むしろあっさりとして健全な空気すら漂っていた。だがリンクを踏んでいくうちにその印象は覆り、やがて僕は異様な感じのする文章が綴られたページに辿り着いた。タイトルには見覚えがあった。そのページはあの日ちらりと目にした本の電子版だった。



 《私たち現代人は、一昔の人々と比べると、遥かに豊かな生活を送っています。頑丈に作られた安全な住居の中で寝起きし、整備された道を通って、様々な食べ物、服、日用品を安価で入手し、職業や配偶者や生活する場所を自分で選択することが出来ます。ある日突然戦争へと駆り出されることも、飢えて死ぬこともありません。
 しかし、それはあくまで表面的な豊かさに過ぎません。あなたは本当に自由な選択の中に生きていますか? あなたの肉体は健康ですか? 心はどうですか? あなたは今、幸せを感じていますか?

 日々の生活に追われる毎日、仕事や家事に疲れ果てて布団に入っても、失業や老いの不安に苛まれ、ぐっすりと眠ることも出来ず、暗鬱とした気持ちのまま朝を迎えては、移り変わる世界に置き去りにされているような、そんな気持ちになったことはありませんか?
 あなたが、あなたの配偶者、子ども、両親、祖父母、友人、恋人、知人、同僚と一緒にいるとき、あるいは家、勤め先、所属しているグループの中にいるとき、あなたは、孤独や寂しさ、怒りや悲しみ、焦燥、満たされない気持ちを味わったことはないでしょうか。

 私たちは、置かれている環境の影響を強く受ける生き物です。あなたがもし今不幸であるなら、それはあなたといる人、あなたのいる場所、あなたが経験してきたものの中に、何かあなたを蝕むものがあるからなのもしれません。反対に、あなたにとって必要なものが決定的に不足している、ということも考えられます。
 それらは一体何なのでしょうか?

 この本を手に取ったとき、「何かよく分からない感覚を覚えた」「抵抗感があった」「気分が悪くなった」「心が軽くなった」「光を見た」「目の前が真っ暗になった」と言われる方がいらっしゃいます。それは、この本の中に記された真実へのさまざまな反応です。あなたを蝕むもの、あなたに必要だったものがここに書かれている、ということをあなたは直観的に感じ取ったのです。
 ■■■■■は真理の神です。真理とは何かに依存したり、影響を受けたりして存在しているものではありません。それ自体で正しく、未来永劫変わることなく存在するものです。

ですからあなたは、それを本能あるいは第六感と呼ばれるもので感じることが出来たのです。

 ■■■■■は、あなたが過去にどんな罪を犯し、あるいは、何を為さなかったとしても、問題にはしません。それは■■■■■があなたの中に入ったとき、全てが終わり、そして始まるからなのです。■■■■■はあなたを蝕んでいたもの――私たちは便宜的に『悪霊』と呼んでいます――に抵抗する力を与え、あなたに足りなかったもの――あなたが立ち上がったり、眠りに就いたり、助けを必要としたときにあなたを守り、支えとなる『柱』を作り上げます。

 私たちの中で、そういった『変革』(目覚め)のときは一度だけではなく、何度も訪れます。数多くの『変革』を経験した者は、■■■■■を完全に受け入れ、真理と一体となることで、決して折れない『柱』を手に入れることが出来ます。■■■■■と同一化したものは現在数名存在しており、その存在そのものが全ての存在の益となる者でありながら、私たちに学びの場を提供してくださり、『変革』のときの訪れに尽力してくださいます。
 『変革』は必ず訪れます。私たちはその訪れのため、真理との一体化のために、日々活動しているのです。》
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