4-2.意地悪な恋人



 芯まで温まり、少し火照った体を浴衣に包んだ。一旦部屋に戻って水分補給をした後、二人でベランダに出た。木々の爽やかな香りを含んだ冷たい風に程よく体温を下げてもらい、また部屋に戻った頃、ちょうど食事が運ばれてきた。
 地元の特産品だという牛肉のステーキと、今朝あがったばかりだという新鮮な魚介の刺身はなかなかのものだった。唐桑は吸い物や釜飯も絶品だと感じたが、パックのお茶すらも美味しく思えたところを考えると、持田という恋人の前で精神が高揚している中での評価が後々役に立つかどうかは、実際は怪しいところだった。
「貴大さんは、料理出来る人?」
「職業柄、最低限は」
「じゃあ今度作ってもらおうかな。家に食べに行ってもいい?」
 さらりと訪問に流れを持っていくところは、それまでに積み重ねてきた経験値の高さを思わせる。どんな男と――あるいは女と付き合ってきたのだろう、と唐桑はふと思う。どんな風に恋に落ちて――どんな風に終わったのだろう?
「いいよ。何が食べたい?」
「貴大さんの得意料理で」
「期待するなよ」
「する」
「……練習時間を貰えるなら頑張るよ」
「来週がいいな」
「来週は忙しいんだ」
 持田は「嘘つき」と笑った。
「絶対来週行くから」
「……意地悪だな、泰河は」
 そんな所も好きだと思ってしまうくらい、唐桑は持田の事を可愛く思い始めていた。

 食事の後少し休んで、腹が落ち着いたところで露天の大浴場にも足を運んだ。貸し切り状態だったのは、部屋にそれぞれ洗い場付きの温泉があり、それとは別に時間予約制の貸し切り露天風呂がいくつか用意されているからだろう。暫く楽しんだ後、二人は部屋に戻った。それから一息ついて何となく色めいた雰囲気になり、どちらからともなく体を寄せ合った。
 ゆっくりと唇を合わせて、舌を絡ませ合う。そうしているうちに唐桑は熱い体を肌で感じたくなり、持田の浴衣の裾に手を差し込んだ。瑞々しく張った肌の温もりにペニスがぐんと硬くなる。浴衣を肌蹴させながら持田の体を倒して、自分と同じように盛り上がった股間を撫でた。何度か擦ると硬くなって、布と布の隙間から立ち上がったペニスが飛び出してきた。持田は下着を身に着けていなかった。
 ペニスを何度か擦って、唐桑は持田の口から漏れる感じ入ったような溜め息を楽しみ、するりと手を滑らせて裸の尻を撫でた。
「……いいか?」
 尋ねると、持田は唐桑の頭を引き寄せ、唇を深く触れ合わせながら唐桑の浴衣を肌蹴させた後、部屋の隅に置いていた荷物の中からローションとコンドームを取り出した。唐桑が自身のそれに薄いゴムを被せると、持田はねっとりとした手つきでそこにローションを塗り付けた。持田の大きな手の中で興奮が高まり、熱く柔らかく受け止めてくれる彼の中に入りたくてたまらなくなった。
 持田は自身のそれにもコンドームを被せ、体勢を変えて四つん這いになった。それからその引き締まった尻の片方を手で掴み、その指先で肌を引っ張って窄まりを露出させた。
「ここに……それ、垂らして」
 言われるがままローションを垂らすと、襞が誘うようにひくついた。後はもう、持田は何をしろとも言わなかった。好きなようにしていい、そんな風に許しを与えられているような気がして、唐桑は持田の腰を掴んだ。ペニスの先端をそこに擦り付け、粘性の高いローションを穴の周りに塗り付ける。それから襞の真ん中にペニスを押し当て、僅かにめり込ませた。それだけで持田のそこは開いて、唐桑を奥へ奥へと呑み込もうとする。そのいやらしい動きに煽られて、唐桑は腰を進めた。
「ん……あ、いい……、熱い、貴大さん、熱い……」
 持田の中は狭かった。肉壁を押し分けるようにして根元まで埋め込んで、その温もりを味わう。脱げきってしまう寸前の浴衣が、その下の湿った肌が、光が差し込む明るい室内で、広がった襞がてらてらと光って見えるのが――持田という魅力的な年下の男に対する、唐桑の欲望を煽ってやまない。唐桑はあまりの良さに溜め息を吐いた。
 馴染んだところでゆっくりと抜き差しを始め、時折中をかき混ぜるように腰を動かしてみると、持田は堪らないというように呻き声を漏らした。その声は唐桑の鼓膜を甘く撫でて背筋を震わせた。唐桑はどうしようもなくキスがしたくなった。泰河、と小さく呼ぶと、持田は心でも読んだように頷いた。
 体勢を変え、対面座位で体を繋ぎ直した。持田はあまり体重を掛けなかったが、肩や太腿に掛かる重みも、しっかりとした骨組みも確かに男のもので、今ここで持田という男の体を抱いているのだと、唐桑に強く意識させる。見つめ合い、唇を寄せ合って、息を弾ませながら互いの舌を求め合う。持田は口付けも腰遣いも巧みだった。動きはそれほど激しいわけではないのに、いつの間にか夢中になってしまう。唐桑は自然と持田のペニスに手を伸ばし、扱きながら、同時に持田の腸壁で熱く柔らかく擦り上げられる心地良さに溺れた。
 二つの体が芯から繋がって、汗が混じり合い、呼吸が一つになる。唐桑は持田の中で、持田は唐桑の手の中で殆ど同時に達した。二人の体の振動が互いに伝わって、愛情があとからあとから湧き出てくる。唐桑は持田の中からすぐには出て行かず、愛しい恋人の体を抱き締め、暫くその柔らかな唇を味わっていた。

 体を離しても、どこか甘い空気は崩れないままそこに留まっていた。コンドームを片付けて体を拭いていると、持田は唐桑の身体をそっと押して畳の上に倒した。唇が静かに降ってきて、唐桑はそれを自身の唇で受け止めた。時間をあけたとはいえ、日に二回も射精した事で心は大分落ち着いていたが、戯れのような口付けは心地よかった。時間が許せばいつまでもそうしていたいくらいだった。
 だが持田の唇は呆気なく離れてしまう。名残惜しい気持ちで傍らに座る持田を見上げていると、持田はふっと悪戯っぽく微笑み、唐桑の頭の下に座布団を差し込んだ後、肩に手を置いた。その手はまだ肌蹴たままの浴衣を更に乱れさせ、その下の上半身を撫で回していく。肩を、腕を、胸を、腹を。少し硬い手の平と指が、やがて筋肉や骨の形を確かめるようにしっかりと触れてくる。
「貴大さんって、何か運動してる?」
「ああ……ジムの会員になってる」
「会社帰りに?」
「いや……ジムは休日だけで、平日は家で筋トレだな。食べるから、何もせずに放っておくと太るんだ」
 持田と出会ってから運動をする頻度を増やした事は言わなかった。見栄だ。持田は意識して運動をしているわけではないらしいのに、引き締まった良い体をしている。筋肉隆々ではないが見栄えがする体だ。
「だからか。綺麗な体だと思ったんだ。どこにも緩んだところがなくて、でも硬くなくて肌は柔らかくて……」
 持田は手を止め、沈黙して、唐桑の顔をじっと見つめた。それからゆっくりと、顔から首、首から胸、腹に、性器に、太腿へと視線を下ろしていった。
「本当に……貴大さんは、綺麗だ」
 舐め回すようないやらしい視線ではない。その目は目の前の体を鑑賞する目だ。欲望がその奥に隠れてはいるが、視線で犯してやろうという下卑た思考は見えない。唐桑は自身の体にじわりと汗が滲み出すのを感じた。見せつけたいと思えるほど自信家でも、委縮するほど自信がないわけでもない。抵抗がないと言ったら嘘になる――見られたくないと言っても嘘になる。
 気付けば、萎えていたペニスが少しだけ形を変えていた。腕にあった持田の手がそこに近付いて、やんわりと触れられた。
「泰河、時間が……」
 まだ日は落ちていない。普通なら大分余裕のある時間だが、一度出してしまうと次に射精に至るまでに時間を要する唐桑の体質では、足りるかどうか危ういところだ。中途半端なまま終わってしまえば持田の方が不満に感じてしまうかもしれない。そう思って口にした言葉を、持田は「大丈夫」の一言で流してしまった。
「泰河」
「イケないのは嫌?」
「いや……嫌なわけじゃないが、楽しくないだろ?」
「まさか。俺は楽しいよ。貴大さんの体に触れてるだけで嬉しい」
 そうか、射精しなくてもいいのか――と唐桑はほっと安堵した。無理矢理に性感を引き摺りだそうと追い立てられても気まずい雰囲気になるだけだが、持田はそういうつもりではないらしい。
「好きなように触っていい?」
「ああ……いいよ。泰河の好きなようにしてくれ」
 身体の力を抜いて答えると、持田は微笑み、唐桑のペニスを手でやわやわと刺激しながら、そこに舌を寄せた。心地良いが、くすぐったさの方が強い。唐桑が少し笑った事に気付いたのか、持田は悪戯っぽい目でちらりと唐桑を見た後、ぱくりと口の中にペニスを入れてしまった。飴玉でも味わうように他意のない――ないわけはないが、そんな風に感じる舌遣いで、少しずつ刺激を与えてくる。持田の手は陰嚢をあわく揉んでいて、奥底から湧き上がってくるような快感ではないにしろ、さすがに気持ち良くなってきた。
 静かに溜め息を吐くと、持田はやや硬くなったペニスを口からずるりと出し、陰嚢を片方ずつ丁寧に舐めしゃぶった後、ペニスの根元に口付けた。そしてまた手の平に包み、軽く擦りながら唇を落としていく。その唇はペニスを離れて陰毛の中に、そしてそこも通り過ぎて腹に上がってきた。ちゅ、ちゅ、と音を立てて腹筋を軽く吸われる。浴衣を脱ぎ捨てた裸身を晒し、明るい部屋の中で身を屈めてそんな事をしている持田が何だか可愛らしく、愛おしく思えて、唐桑は持田の顔をじっと眺めていた。持田はちらりと唐桑と視線を合わせた後、その高い鼻で臍をくすぐり、それから舌先を尖らせてその小さな窪みを舐めた。
「こら」
 持田は笑い、顔を上げた。だがその手はまだ唐桑のペニスにしっかりと触れたままだ。持田は唐桑の身体を跨ぎ、片手を唐桑の顔の横に突いて、唇に唇を重ねた。唐桑は持田の太腿に手を置き、指先で肌を撫でながら優しく穏やかな口付けに応えた。終着地点の無い、ふわふわとした触れ合い。ずっと続いて欲しいと思った。
 離れて行こうとする唇を追って頭を上げると、押し返すように唇が触れて、また離れてしまう。つれない恋人は唐桑の耳を舐めながら、
「……噛んでいい?」
 そう囁いた。その問いから重要な部分が抜け落ちているのは、わざとだろうか。持田は思わせぶりにペニスを緩く扱いた。さすがにそんな所に歯を立てられるのは、と思ったのが分かったのか、持田は首を横に振った。
「そこじゃないよ」
 なら、どこだ。視線で問い掛けると、持田はペニスから手を離し、その手を唐桑の胸に置いた。指の先でつんと乳首を突かれる。そんな所を噛むのか――と唐桑は戸惑いつつも、股間に歯を立てられるわけではないらしい事に安堵していた。
「……痛くしないなら」
「痛くはするよ」
 声だけは優しい。唐桑は一瞬、聞き違いかと思った。
「優しく、してくれないのか」
「うん、しない」
 持田の指は唐桑の乳首を弄び始めた。親指で優しくこね回されて、平たかったそこが形を変える。
「……ちょっと立ってる。可愛い」
 触られて感じたから形を変えたわけではないのは、持田も分かって言っているのだと唐桑には分かっていた。触られて、ただ反応を示しただけだ――『可愛い』などと言われるまでは、恥ずかしいとも思わなかった。
 持田は指で触れている方とは反対の乳首に舌を這わせた。そんな所を舐められても――そこで感じる男もいるのかもしれないが、自分は違う。触れられた瞬間、唐桑はそう思ったし、実際に感じたのも腕や腹を舐められたくらいの感覚だった。心地良いが、官能的な良さではない。
 ――ふいに歯を立てられて、唐桑は思わず身を引きかけた。未遂で終わったのは、そうしようとした瞬間に持田に両手首を掴まれ、押され込まれていたからだ。
「……っ!」
 逃すまいとするかのように、噛む力が強まる。本当に耐えられない痛みではない。だが看過できない、戯れには強過ぎる痛みだった。唐桑が制止の言葉を口にする寸前に持田は顎の力を弱め、労わるように、癒すようにそこを舐めてきた。
 ほっと息を吐いた所でまた歯を立てられて、唐桑は体を硬くした。
「泰河っ……」
 声を上げるとまた噛む力が弱まって、柔らかな唇に包まれた。跳ねる心臓の上で、持田の舌がちろちろと歯型のついた乳首を舐める。また噛まれるのではないかと身体が勝手に身構えてしまう。息が上がっていく。
 持田は舌を離し、濡れた乳首を指で擦り始めた。唾液にまみれ、刺激を与えられて敏感になったそこを指でこねられると、微かな痛みと共に、むず痒く落ち着かない感覚がじわじわとせり上がってくる。片手は自由になっている……押し退けようとすればそうする事も出来るが、そうしたくはなかった。まだよく知っているとは言えないこの新しい恋人が、一体どこまで痛みを与え、どこまで踏み込んでくるのか、唐桑は今ここで知りたいと思った。
 指で弄んでいる方とは反対の乳首に、持田はそっと唇を落とした。きっとまた強く噛み付いてくるのだろうと唐桑は構えていたが、持田はそこに舌を這わせ、時折甘噛みするだけで、痛みを与えようとはしなかった。優しくされている筈なのに意地悪く焦らされているような気になる――もどかしかった。いっそ血が滲む程に噛んでくれれば、歯を食いしばるだけでいいのにと思ってしまう。強く噛まれている時よりもそうでないときの方が、体は噛まれることを意識している。汗が肌を濡らして、呼吸がおかしくなってくる……。
 気付けば唐桑は自由になっている方の手を、持田の微かに湿った髪の中に深く差し込んでいた。ねだるように、そして縋るように。それでもまだ、感じているのは確かに快感以外の何かだった。
 だが――ふいに、芯を持った小さな突起を尖らせた舌で押し潰され、それからじゅっ、と音を立てて吸われた瞬間。唐桑はもどかしさの向こう側に体を投げ出していた。線を飛び越えて、不安を覚えるような一瞬の無感覚の後、体の奥からどっと感覚が湧き出てくる。その中に混じる、これまで一度も感じた事のない快感をそれと認識する。舌に、歯に、唇に嬲られた小さなそれが、ほんの十分程前まで殆ど意識した事もなかった自身のそれが、性的な意味合いを持つものに変わってしまった事を、唐桑はその身をもって理解してしまった。
「う、……あ、泰河……、泰河……」
 呆然としているといきなりきつく歯を立てられた。それから口に含まれ、舌で転がされ、吸い付かれて――何をされても快感を覚えた。激しくはない、しかし執拗な愛撫に鼓動を乱される。未知の快感に恐怖すら覚えた。
「もう……嫌だ、噛まないでくれ、頼むから……」
 持田はそこから唇を離し、顔を上げずに「噛んでないよ」と呟いた。触れる吐息だけで気持ち良かった。そうか、もう噛まないのか、と安堵したのも束の間、そこに甘く歯を立てられた。
「あっ……この、嘘吐き」
 頭に触れていた手を押してそこから引き離すと、持田はやっと顔を上げた。
「もう噛まないとは言ってない」
「じゃあ、言ってくれ。もう噛まないって」
「……貴大さん、あんまり可愛い良い方しないで」
「してないだろ……」
 唇と舌と歯からは解放されたが、まだ指で弄ばれている。やめて欲しいと思ったが、同時にもっと翻弄されてみたいとも思った。主導権を完全に明け渡しても、きっと持田は自分を踏みにじりはしないだろうと、唐桑は分かっていた。持田はこの手を引いて、それが限界だと思っていた線を踏み越えさせて、一度も足を踏み入れた事が無かった場所に連れて行ってくれるだけなのだ。
 どこまで行くのだろう……どこに行き着くのだろう。唐桑はそれ以外に今の感情を表現する手立てを思いつかず、見上げた持田の顔を引き寄せて口付けた。触れるだけの口付けを深くしたのは持田の方だ。胸に置かれた手はもう動いてはいなかったが、舌を絡ませ合う間にも歯を立てられた場所は甘く疼いていた。
「……感じた?」
「感じた……」
 正直に答えると持田は唐桑の頭を撫でた。その手は額に張り付いた前髪を払い、頬をさらりと指先でなぞって、顎を掠めて離れていった。
「もっとして欲しい?」
「して、くれるのか?」
「噛まないでって言ったのに?」
 持田は唐桑の足と足の間に自身の体を入れ、白い歯を唇の間から覗かせながら尋ねた。その歯の間に挟まれる痛みを思い出して体が震えた――それなのに、いつの間にかペニスは硬く勃起して先走りを垂らしている。反り返る程に勃起した持田のそれが唐桑のペニスに擦れたのは、きっとわざとなのだろう。
「……噛んでくれ。優しく……噛んで欲しい」
「いいよ……」
 持田は胸に顔を埋めて、濡れた淡い色づきに唇を落とした。甘噛みされて、じんと腰が痺れる。唐桑は天井を仰ぎ、目を閉じてその甘い痛みを味わう。どうしようもなく気持ちが良かった。あまりにその良さに溺れ過ぎて、体の下の方で持田が何をしているのか全く気付かなかった。
「あ……? あ、泰河……」
 いつの間にか大きく開かれた唐桑の足の間で、何かが起こっている。ペニスの下、会陰を辿ったその下。窄まりに何かぬるりとしたものが触れて、それはすぐに中へと入ってきた――コンドームとローションを纏った持田の指だ。すぐにそれと分かったのは、体で持田の指の感触を覚え込まされていたからだ。
 唐桑は口を軽く開け、そこから震える吐息をゆっくりと漏らし、片手で持田の頭を抱え、畳に投げ出した片手を彷徨わせる。持田の唇は濡れた乳首の先端を舌の先で弄んでいる――気持ちいい。指はその快感に隠れるようにして、ゆっくりと呼吸に合わせて戻ることなく進んでいく。挿入されている感覚は確かにあるのに、それまで侵入されたことのない深みにまで踏み込まれても戸惑ってしまうくらいに痛みがなかった。抜き差しされれば感じたかもしれないが、その指は征服者のそれではなかった。違和感なく潜り込んで、警戒心を抱かせないまま目的を果たそうとしているような……。
 このまま横たわっていれば、抱かれることになるのだろうか、と唐桑は快感で鈍り始めた頭で思う。指よりも太く熱いものを入れて揺さぶってみたいという欲望を、持田は自分に対して抱いているのだろうか? 唐桑は緩やかに中を動き始めた侵入者と、乳首を舐めしゃぶる唇、どくどくと早鐘を打つ心臓の鼓動を感じながら、この先に待っているのかもしれない展開について考えた。
 今日ここにやって来て今まで、そうなる事を全く想像しなかったわけじゃない――初めて指を挿入された時は夢にまで見た。持田がそこに触れなかったなら、自分が抱かれる側に回る事など一生考えもしなかっただろうが、今この瞬間、自覚している事が一つある――もし本当に持田が自分を抱きたいと思ってくれているのなら、それが痛みを伴うものであったとしても応えたい――そう感じている事だ。
「なぁ……、入れる、のか?」
「入れてるよ?」
「そうじゃない……」
 抱きたいのかと直接的な言葉を使うのが躊躇われて、半端な尋ね方をしてしまった。唐桑は妙に気恥ずかしくなって耳まで赤くし、熱くなった目元に手をやって表情を隠した。そんな唐桑の目を盗んで、指がもう一本薄いゴムの中に滑り込む。質量が倍になると、排泄の為の場所に男の指を咥え込んでいるという感覚がぐっと強まる。押し広げられても痛みは無い、異物感もすぐに和らいだ。乳首を甘噛みされて体が勝手にびくりと反応を示すたび、中が締まって持田の指を強く意識する。節の形までよく分かる……。
 気持ち良い、と言える程そこで快感を得ているわけでもないのに、唐桑は興奮を覚えている自分に気付いた。一方的に体を弄られて、体を開かされて、ペニスに触れればすぐに放ってしまいそうに興奮している。寄せては返す波のようなリズムで腸壁を優しく撫でる指を、離したくないとでも訴えるように締め付けて締め付けて、本当に離したくなくなる。
 あまりに弄られ過ぎて感覚が無くなってきた乳首から持田の唇があちこちに移動し、肩や首や唇に吸い付かれるたび、もう出して楽になりたいと無意識にペニスに手を伸ばした手をやんわりと遠ざけられるたび、昂った持田のペニスを太腿に擦り付けられるたびに、後ろを弄る指がもたらす感覚がずるずると快感の方に引き摺られていった。
 汗が滲んだ手足が勝手に震え出す。何故か涙が溢れそうになる。ふっと怖くなって腰を引こうとしたが、持田がしっかりと身体を押さえ込んでいる為に叶わなかった。本当に泣き出しそうになって、唐桑は本当にもうどうしていいか分からなくなった。
「泰河、ああ、泰河……、泰河……」
 開いた口から勝手に恋人の名前が漏れる。自分を追い立てている男に縋る。それでやっと持田は唐桑の中からやっと指を引き抜いた。その動きに感じて切なげな溜め息を漏らす唐桑に、持田は指のコンドームを外しながら性急に口付けた。そして唐桑の足の間に入ったまま体を密着させ、ペニスとペニスを擦り合わせる。そうされて唐桑は唸りたくなるほどの良さを感じたが、同時に喪失感もあった。逃げ出そうとした癖に中を愛撫してくれる持田の指がもう恋しい。唐桑はその喪失感を埋め合わせようと持田をぐっと引き寄せ、その体の重みを全身で受け止めて、息苦しさまでも快楽に変換する。唇を割ってぬるりと咥内に侵入してきた舌が流し込んでくる唾液を飲み込み、それでも足りないと持田の舌を吸った。
 密着させた肌と肌、触れ合ったペニスが互いの体の間で脈打っている。隙間が無くなるほど近付き合って、いつのまにか心臓の鼓動が同調している。唐桑は自分たちの輪郭が溶け合い、一つの個体に生まれ変わっていくような錯覚を覚えた。一つになった熱い体は、それでもまだ足りないと自らを貪り、狂おしいまでの欲望で我を無くしていく。
 二人は殆ど同時に絶頂に達した。重なった体が震えを止め、やがて二人の呼吸が穏やかなものに変わっても、二人は一つになった体が僅かにでも離れることを惜しみ、静かに抱き合ったままでいた。



 情事の跡を片付けて汗を流した後、二人は最後に少しだけ湯に浸かり、宿を後にした。
 唐桑は持田に促されるまま車のキーを渡し、助手席に座った。辺りはもう薄暗く、大分気温が落ちて車内も冷えていたが、ひんやりとしたシートに背を凭れても唐桑は寒気一つ感じなかった。
 持田が入れた暖房が効き出して、唐桑はじんわりと汗をかき始めた。設定温度に異常はない――おかしいのは唐桑の身体なのだ。
「貴大さん?」
「……ん」
「寝ててもいいよ」
 優しい声で言う恋人に、唐桑は首を横に振った。
 窓の外は深みのあるオレンジ色に染まっている。唐桑はふと自分が非日常から離れ、日常の中に戻ろうとしている事に気付いた。明日はいつも通りに出社して、明後日からは三日間の研修の為に飛行機で他県に足を伸ばさなくてはならない――持田と過ごした濃密な数時間を頭の外に置いて、何事もなかったかのような顔をして。
 それなのに、熱が引かない体には情事の跡が色濃く残っている。持田の温かな腸壁に、手の平にペニスを包まれ、やわらかく擦り上げられた快感を体が勝手に反芻している。性器同士を触れ合せたまま射精した時の脈動が忘れられない。歯形が残った乳首は服に擦れる度にじんじんと痺れる。指を二本も挿入され、広げられ、嬲られて快感を覚えさせられた穴にはまだ持田が入っている気がする。
「何か、凄い色っぽい顔してるね。貴大さん」
 持田に圧し掛かられた時の重みを、精液を中に塗りこめられた時の衝撃をまだ覚えている。感じた愛しさは、抱いた欲望は、まだ唐桑の身体の中で燃えている。
「まだ……続いてるみたいだ」
「セックスが?」
「ああ」
「男にハマった?」
「……違う」
「じゃあ、俺に?」
 そうだ。唐桑は持田に嵌まり込んでいる。持田泰河という男の中に、もう肩まで浸かってしまっている。簡単には抜け出せない深みにまで呑み込まれている。
「俺は貴大さんにハマってるよ。初めて会った時から毎日、朝起きてまた次の朝が来るまで、貴大さんとずっと出来たらいいのにって思ってる」
 ハンドルを握って穏やかに車を走らせる持田は、そんな事を平然とした顔で口にする。
「朝起きて……次の朝が来るまで?」
「寝てる時もしたいから。ずっと入れっぱなしにして、朝起きたらまた始めたい」
 唐桑は思わず唇を笑みの形にした。嘲笑ったのではなく、そんな言葉を口に出来る恋人を愛しいと思ったのだ。
「してみようか」
「いいの?」
「いいよ」
 恋人同士の睦言。きっと実行はされない約束。唐桑は想像した。カーテンを閉め切った部屋で裸になって、一日中肌を合わせる自分たちを。朝から晩まで互いの体を愛撫し合って、最後には疲れ果てて抱き合ったまま眠る。抱いて、抱かれる夢を見る……。
 持田も想像したのだろうか。沈黙が降りる。何かを堪えるようにハンドルを握る手に力を込めた持田が、ふっと力を抜いて漏らした溜め息は甘く、切なげだった。
「……貴大さん、次はいつ会える?」
 明日の夜、と答えかけて、唐桑は言葉を飲み込んだ。明日も会いたい――そう本音を言えるほど、まだこの関係に慣れているわけではない。この魅力的で刺激的な恋人に溺れ過ぎて、日常生活や仕事が疎かになってしまうのも怖かった。
「そうだな……」
 窓の外に目をやって、流れる景色を眺めながら深呼吸をする。間を置き、考える振りをする。そうしながら、熱の燻る肉体と持田一色に染められた心を意識から切り離し、理性で欲望を抑え込もうとする。遠ざかり背後に消えて行く景色にではなく、先に続く道に唐桑は思いを重ねた。非日常から離れて日常に戻っていく――まだ戻れる――やがてクリアになっていく思考に、唐桑は安堵の溜め息を吐いた。
「土日は丸々空いてる」
「じゃあ土曜に会おう。俺は半休だから、午後から貴大さんの家に行っていい?」
「……ああ、いいよ」
「住所、あとで送ってください」
「今送る」
 唐桑はすっかり存在を忘れていた携帯を取り出し、持田に送った。
「迎えに行っても構わないが、どうする?」
「いいの? じゃあ会社の前まで来てくれる?」
「泰河がそれでいいなら」
 会社を出てすぐに貴大さんの顔が見られるなんて最高だ、と持田は楽しげに言った。
「昼飯はどうする?」
「貴大さんが作ったのを食べるよ」
「味の期待はするなよ」
「もうしてる。夕食は一緒に作りたいな。材料も二人で買いに行って」
「いいな。楽しみだ」
 オレンジ色の空が暗くなり、雲が群青に染まる。二人は道の駅で軽食とコーヒーを二つ買い、車の中で簡単に食事を取り、そこから運転を交代した。
 車を走らせるうちに夜の気配が色濃くなり、窓の外の風景が見慣れた街並みに変わっていく。二人はワンシーズン前に放送されたレストランが舞台のドラマや、土曜の夕食の内容について語りながら、持田のマンション近くにあるディスカウントショップの広々とした駐車場に入った。
「そういえば」
 きっと忘れているだろう、と思いながら唐桑は続けた。
「ペナルティはどうなったんだ?」
 持田はシートベルトを外し、唐桑に顔を近付けて触れるだけのキスをした。
「今度会った時のお楽しみ」
「そんなに焦らすのか?」
「うん。焦れる貴大さん、可愛いから」
「……意地悪だな」
「また可愛い言い方する。我慢出来なくなりそうだから、やめて」
「我慢って何の我慢だ」
 笑いながら尋ねると、持田は飲み残したコーヒーで喉を潤した後、こう答えた。
「いつか出会う特別な人の為に取ってあるものを、簡単に捨てないようにずっと我慢してる」
「……どういう意味なんだ?」
「初体験は特別って意味。俺、今まで誰も抱いた事ないから」
 持田はさらりとした口調で、まるで何でもない世間話でもするような顔で、にわかには信じられないような言葉を口にした。唐桑は少しの間、何かの比喩だろうかと悩んだ。受け取り損ねたピースが、ぎょっとする性的な告白を遊び心のある冗談として読み解く為の暗号がどこかに落ちていて、少し前の会話を注意深く思い返してみれば見つかるのかもしれないと思った。
 だが――いくら考えてみてもそんなものは落ちていなかった。
「それは……冗談、なんだろう?」
 唐桑の問いに持田は答えず、何とでも解釈できそうな微笑みを浮かべ、もう一度唐桑に触れるだけのキスをした。そして荷物を持ち、車を出て、車内を覗き込む為に身を屈ませた。
「じゃあ、また土曜日に。今日はありがとう」
「こちらこそ……、ありがとう。また土曜日に」
「うん、おやすみ。愛してる」
 言うだけ言って持田はあっさりと車から離れ、店の中へと歩いて行く。
 店の自動ドアが開いた瞬間、持田は一瞬唐桑の方を振り返った。微笑んだように見えたが、気のせいだったかもしれない。

 持田の姿が見えなくなって、唐桑はようやく動き出した。ゆっくりと車を出して、帰途に就く。結婚後すぐに購入した一軒家の駐車場で、唐桑はエンジンを止めた車のハンドルを握ったまま、呆然とフロントガラス越しの月をその瞳に映していた。
「……『愛してる』?」
 冗談としか思えない告白の後に、口にするには早すぎる言葉が降ってきた。唐桑は急に、持田が一回り以上も年下の男である事を意識した。理解出来ない――思考回路を形作った時代の隔たりを感じさせる、突拍子もない出来事だった。
 身を浸していた水の流れがふいに変わって、戸惑いを感じる。訳の分からぬまま見知らぬ所に連れて行かれる。リズムを崩されて、足場が心許なくなる。
 唐桑は持田に電話をかけたくなる衝動を何とか堪えた。あれはどういう意味だったんだと問い質したくなる衝動を。
 もし唐桑が今よりも持田に惹かれていなかったのなら、冷静になってこの河から離れてしまおうと思ったかもしれない――だが、こんな風に試されるような、揶揄われるような真似をされても、唐桑は持田に対する自身の想いが全く損なわれていない事に気付いた。
「……本当に……意地が悪い」
 欲しい、と思った。
 持田が特別な人の為に取っておいたのだという、それを。
 持田の特別になりたいと思った。貴大さんなら、いいよー―そう許しを与える声を聞きたかった。いつか出会う自分以外の誰かに、持田がそれを明け渡す事など考えるだけで気が狂いそうだった。
 欲しい――どうしても欲しくなってしまった。
 そう思う唐桑を、持田はきっと想像している。そう思わせる為に秘密を告白したのだ。欲しいと思わせたいと、そう欲望したのだ。
「泰河……」
 頭の中が持田の事でいっぱいになる。持田の表情――触れた場所――触れられた場所――息遣いに、体の熱さ。汗ばんだ肌。やわらかな体毛の感触、体を繋げた時に感じたあの心地良さ。感じさせられた痛み。覚えさせられた快楽。
 唐桑は車を出て、家に入った。玄関の鍵を閉め、コートを放り出し、ボトムを下ろして下着の中に手を入れ、ペニスを握り込んだ。
「はぁ……、あぁ……」
 玄関ドアに背を凭れて、自慰に浸る。身動きをするたびにシャツに擦れる乳首がじんじんと快感を生む。入り込んで中を広げた指を、中に擦り付けられた粘液の感触を思い出しながら後ろをひくつかせる。そこに持田のあの大きなペニスが入ったらどんな風だろうと想像する――奥がどうしようもなく疼く。
 欲しい、どうしようもなく欲しい。その欲望が体の中を食い散らして、虚ろな穴を喪失感が満たす。昂ったペニスを扱き上げるごとに、もっと欲しくなる。
 唐桑は切なげに眉を寄せ、呻き声を上げて果てた。先端からびゅくびゅくと飛び散る精液が床に落としたコートを汚していく。玄関ドアに背を凭れたまま、快感に震える体がずるずると下がっていく。乱れた息を荒く吐き出しながら、唐桑はやがてその場に座り込んでしまった。
 玄関から真っ直ぐに続く廊下を目に映していると、目線の低さ故か、一瞬他人の家に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚える。唐桑は目を瞬き、辺りを見回し、ほっと溜め息を吐いて、それから肩を震わせて笑い出した。衝動に駆られてこんな所で自慰に及んでしまった自分が信じられなかった。
 達した後も醒めることのない欲望は、持田が植え付けたのか、それとも初めから唐桑の中にあって、ただ引き出されただけだったのか。
 子どものように身勝手で、幼い欲望が唐桑の中にある。あれが欲しい、どうしても欲しいと心が喚いている。
 唐桑は笑うのをやめ、自分の前を去っていた女たちの事を思い出した。
 彼女たちが本能的にどれほど正しく自分を理解していて、どれほど正しい選択をしたのか、今やっと理解出来た。
 唐桑は彼女たちを愛していたが、誰にも本当の恋をしていなかった。
 これほどまでに誰かを、何かを強く欲しいと願った事は、これまでただの一度も無かったのだ。
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