4-1.隠れ家の情事

 隣から聞こえてくる穏やかな歌声が心地良く唐桑の鼓膜を揺らす。
 日曜日。唐桑は恋人を助手席に乗せてハンドルを握り、フロントガラスの先に延々と続く長閑な田舎の風景の中に車を走らせていた。良く晴れて風は少なく、近隣で渋滞を起こす大きなイベントの開催予定はない。絶好の遠出日和だ。
「貴大さん、あそこのコンビニに寄ってもらっていい?」
 持田の求めに頷き、唐桑は百メートル程先にぽつんとあったコンビニの駐車場に車を入れた。持田はすぐに戻ると言って一人降り、コンビニに入っていった。
 一人残された唐桑は怪しくない程度に車内を見回し、ごみが落ちていないか確認した。昨夜はあやうく日付を超える寸前まで仕事が終わらず、今朝早起きをして洗車を済ませた。お陰で持田を乗せて走っても恥ずかしくない程度に外側は輝いているが、中を詳しく点検する暇は無かった。
 いかがわしい物や見られて困るものを落とした覚えも持ち込んだ覚えもないし、元々清潔にしている方だから不潔でもない筈だ。だが気になるものは気になる。芳香剤はきつくないだろうか? 持田の車は心地良い香りがした……。
 唐桑がそんな事を考えていると、持田がドアを開け、その長身を滑り込ませるようにして助手席に戻った。
「お待たせ。貴大さんの分も買ってきたからキスしていい?」
「ああ。ありがと……う?」
 あんまり自然に尋ねてくるので、唐桑は思わず頷いてしまった。訂正する暇もなく持田はするりと唐桑に身を寄せ、軽く口付けてからシートに体を戻した。
 シートベルトを締めた持田は、まるで昔からずっとそこを定位置にしていたかのようにリラックスした様子で、ハンドルに片手を置いて固まっている唐桑を穏やかに見つめ返した。
「しちゃ駄目だった?」
 持田が身を離した瞬間、ちょうど店を出てきた男と目が合ったような気がしたが、唐桑が感じたのは恋人との戯れを目撃された事に対する微かな気恥ずかしさ、それだけだった。
「……いや。泰河は人目を気にしない方なんだな」
「貴大さんこそ」
 気恥ずかしさが通り過ぎた後、唐桑の中にあるのは持田への愛情と口付けで得た心地良さだけだ。この程度のごく軽い愛情表現なら、誰に見られたとしても構わないと言い切れる――そう自覚し、自身の感覚が理性を裏切らなかった事に唐桑が安堵したのは、少しだけそれを恐れていたからだ。
「何を買ってきたんだ?」
「んー……どっちがいい?」
 持田が袋から取り出したのは、パンダの顔がカップの前面にプリントされたタピオカミルクティーに、果肉入りグレープフルーツジュースだった。『どっちがいい』と尋ねる形を取りながらも、あからさまに前者の方を唐桑に寄せて見せているのはご愛敬というものだろう。
「……可愛いな」
 唐桑がタピオカミルクティーを受け取って言うと、
「でしょ? それ飲んでる貴大さんは可愛いだろうなって思って買いました。さっき俺があげた飴舐めてたのも可愛かったし」
 そんなよく分からない言葉を返してくる。唐桑は苦笑しながらタピオカを通す為の太いストローをカップに差し、一口飲んでから持田を見た。持田はじっと唐桑を見つめていた。
「可愛いか?」
「可愛い」
 唐桑は中学生の姪っ子を思い出した。彼女は飼っているパグにサングラスをつけさせ、可愛い可愛いと言いながら写真を撮るのだ。多分、そういうニュアンスの『可愛い』なのだろう。
「なぁ、また何か歌ってくれ」
「うん、何がいい?」
「何でもいい。そうだ、前カラオケで歌っていたあの曲は?」
 曲名がうろ覚えだったのでワンフレーズだけ歌うと、持田は分からないと言って唐桑に続きを歌わせようとした。唐桑は持田がとうに分かっている事に気付いていたが、恥ずかしさを堪えてもうワンフレーズだけ歌った。
「貴大さん上手いのに、何で恥ずかしがるんですか?」
「やめてくれ。音痴なんだ」
「音痴じゃないって。上手いし、俺は好き」
「泰河に比べたら音痴だ。相対的に下手なんだよ」
 持田は「俺は好きなのにな」とわざとらしくなく言い、ドリンクフォルダーに残っていたコーヒーを飲み干して唐桑が指定した曲を歌い始めた。
 ――唐桑もそう物怖じする方ではなく、どちらかと言えば大胆な方ではあるが、特にトラウマがあるというわけでもないのに人前で歌うのだけは昔から苦手だった。一人の時、ふと覚えたCM曲を口ずさむことはあっても、誰かに自分の歌を聴いて欲しいとは思わなかったし、人がいれば歌いたいと思う気持ちよりも気まずさの方が勝りがちだった。
 だから持田のように何の気負いもなく、世間話と同じくらい気軽に歌詞を口に出来る上に、聴いていて心地よい声を持った人間というのは、唐桑にとってただただ感心の対象だった。凄いな、という言葉しか出てこない。きっと自分は歌って楽しむよりも、自分以外の誰かが紡ぐ歌を、じっと耳を澄ませて楽しむ方が好きな人間なのだろう、と唐桑は思う。
 持田の地声は高くも低くもないが、音域は広めで、上から下に大きく上がるときに少し掠れた風になるのが色っぽかった。普段は落ち着いて言葉を紡ぐその声が少し強めに歌詞をなぞると、唐桑は自分の身体の一番奥にある骨にまで歌声が響いているような気がした。
「……もうすぐ着きます?」
 唐桑にリクエストされるまま数曲歌い切った後、持田は窓を僅かに開いて尋ねた。風が持田の髪を揺らす。覚えてまだそう経っていない、持田の匂いが微かに鼻を掠める。
「あと十五分って所だな」
 目的地の近くまでは単純な道が長く続いていたので、ナビは途中で消していた。電源を入れると所要時間の再計算が始まり、機械音声が『目的地まであと二十分です』と告げた。
「五分多い」
 持田が窓を閉めながら言う。文句を言っているような口調ではなかったが、独り言という雰囲気でもなかった。
「誤差の範囲内だろう」
「範囲外なので、ペナルティです」
「どんな?」
「うん。それはあとのお楽しみ」
 ペナルティなのかお楽しみなのか。唐桑はハンドルを回しながら、既に楽しみだと思い始めている自分に苦笑した。



 唐桑が仕事をしている間に持田が予約してくれていたのは、それなりに趣がある佇まいの、落ち着いた雰囲気の温泉宿だった。当初予定していた宿は雑誌に載っていたコース含めて全く空きが無かった為、温泉巡りを趣味としている知人に話を聞き、その近隣で日帰りのプランも提供している別の宿を教えてもらったのだという。一見して分かり辛い場所にあったその場所は、唐桑の見立てでは持田が好みそうな――そして自分もおそらく気に入るだろう隠れ家的な雰囲気があり、辺りを囲む深い緑によって喧騒から切り離されていて、恋人と休日を過ごすのに相応しい静かで美しい場所だった。
 この宿の日帰りのプランの提供は一日一組限定だ。日帰りのプランとしてはかなり値が張る方だが貸し切り風呂に昼食付きで、十時から十七時までゆっくりと過ごせる。キャンセル空きで前日に押さえられたのは幸運だった。
 五十代後半の人の良さそうな顔の女性が二人を迎え、食事の提供時間を確認した後、部屋まで丁寧に案内してくれた。引き戸を開けて中に入ると短い廊下があり、更にドアを開けると木のテーブルが置かれた和室があった。一時間半後、ここに食事が運ばれる事になっている。和室の窓の先には椅子とテーブルが置かれたウッドデッキがあり、少し出てみると木々が葉を擦り合わせるさらさらとした音が聞こえた。温泉で熱くなりすぎた体を冷ますのにいいかもしれない。
 和室からは入口に続く方とは別のドアがあり、そこから脱衣所、風呂と続く。脱衣所は和室の半分ほどの広さで、床と脱衣籠やタオルが置かれた棚は木製、ドレッサーと二つ置かれた椅子、小さなテーブルは籐製だった。派手さはないが清潔感が漂っていて、暖房のおかげで中はほのかに暖かかった。
 唐桑は日帰りには勿体ない場所だと思いながらあちこちを眺めていたが、持田が脱衣所に入るなり服を脱ぎ始めたのを見て、はっとした。黒のジャケットの下を見たのは今日初めてで、唐桑は黒地に金と白で描かれた美しい鳳凰に――そしてそれを負う持田の背中に思わず目を奪われた。広い肩幅、背骨が芸術的なラインを描き、浮き出た凹凸が鳳凰を神々しく艶めかしい不思議な生き物に見せる。骨太の骨格は均整が取れていて、太い筋肉は付いていないのに男っぽい色気があり、ただそこに立っているだけで絵になった。
「そのTシャツ……」
「これ? うちで取り扱ってるやつ。中国のアーティストがデザインしたんだったかな」
「似合ってる」
「かっこいい?」
「ああ」
「このTシャツの下の人間は?」
「見てみないと分からない」
 唐桑の嘘でふっと空気が変わる。持田は唐桑に体を向け、シャツの裾に指を掛けた。
「見てみたい?」
 薄暗がりで見た事はある。こんなに明るい中で、昼間から見た事はない。まだそれほど興奮してはいなかったが、覆いを掛けられたキャンパスの下を覗いてみたくなるように、唐桑はそれを見てみたいと思った。
「見たい」
 持田は微笑を浮かべた後、ゆっくりとシャツを捲っていった。隙間から健康的な色をした肌が覗き、引き締まった腹筋が、臍の辺りに開けたピアスが見える。半ばを通り過ぎ、胸筋が薄く盛り上がった胸が現れる。乳首が僅かに立ち上がっているのがすぐに分かった。唐桑が苛めたことのある、小さな性感帯。唐桑は自身の中に欲望の火が灯るのを感じた。それは思わず手を伸ばしたくなるような衝動で、持田の腹から胸を撫で上げたいという、はっきりとした形を持った欲求だった。
 胸の上までシャツを引き上げた持田の指は、そこから一気にシャツを脱ぎ去った。現れた肩は驚くほど完璧な左右対称で、力強くしなやかで美しい。骨ばった長い指はシャツを脱衣籠に落とし、ベルトの金具を外して、ジジ、とファスナーを下ろした。持田は焦らさなかった。紺色のジーンズをぐっと下げ、両足から引き抜き、靴下を脱ぐ。最後に残ったのはボクサーパンツ一枚。前は見て分かる程に膨らんでいて、標準よりも大きく立派なペニスの形が生々しく浮き出ている。
「それで……この後は?」
 どうするのだと問い掛けられ、唐桑は下着一枚の持田の姿をもう一度ゆっくりと眺めた後、最初から決まっていた答えを口にした。
「その下も見せてくれ」
 持田はいいよ、とでも言うように笑み、下着に指を掛ける。髪の根元と同じ色をした茂みが見えたかと思うと、一気に下ろされた下着の中から、既に立ち上がっているペニスがぶるりと頭を振って姿を現した。まだ完全な興奮状態ではないとはいえ、持田が視線を感じて何かしらの快感を得ていたのは疑いようのない状態だった。
 ――勃起した自分以外の男のペニスを、こんなに明るい中、真正面から見たのは初めてだった。他の男だったなら滑稽に見えたかもしれないが、恵まれた美しい裸身を惜しげもなく晒し、逞しいペニスをも唐桑の目に見せつける持田は、同じ男として惚れ惚れするほどの魅力を放っていて、真似をしようとして出来るものではない独特の存在感があった。
 吸い寄せられるようにして足を踏み出す。身を寄せると、持田は唐桑の手を取った。その手は勃起した持田のペニスに導かれる。
「……熱い」
 思わず呟いてしまう。脈打つペニスは唐桑のそれとは違う。自分以外の男のそれを握っている、それもこんな昼間から――生々しいが、どこか非現実的でもある。寝室で触れた時よりもずっとはっきりと形が分かるのに、日常と生活から切り離された場所が錯覚させるのか、唐桑は淫夢でも見ているようだと思った。
 裸の男。服を着たままの自分。現実的な夢。夢のような現実。
 熱に浮かされるように本能のまま手を動かし始めると、持田は唐桑の肩を抱き寄せ、頬に、そして唇に口付けてきた。すぐに侵入してきた舌には甘酸っぱいグレープフルーツの香りが微かに残っている。唐桑はそれを舌で丁寧に味わった。持田のペニスは硬度を増し、唐桑の手の平をぬるついた先走りで濡らしていく。唐桑は自身のそれを手にしているような錯覚を覚えた。今自分はこの美しい恋人の前で、好き勝手に自らのペニスを扱いている……。
 ふいに唇が離れた。持田は欲に濡れた目で唐桑を見つめ、唐桑の服を脱がしにかかった。服を脱がす合間にも持田は唐桑に口付け、唐桑も持田のそれを手の平で、指で愛撫する。ようやく裸になった時、持田は唐桑の手を取り、ペニスから遠ざけた。まだだ、まだの筈だ……唐桑は可愛がっていたそれを取り戻そうとしたが、持田は甘い声で駄目だと囁いた。そして唐桑の唇を舐め、唇の隙間に親指を差し込む。咥内に挿入されたその指を反射的に舐め、それから意識的に舌を這わせながら、唐桑は目で問い掛けた――なら、どうするんだ?
 もし持田が望むなら口でしてもいいと唐桑は思った。
 正確に言うなら――もし持田が拒まないなら、それに唇と舌で触れて、舐めて、咥えて、吸いついてみたいと思ったのだ。持田がしてくれたように、唐桑も持田を良くしてやりたかった。
「貴大さん……」
 軽く指を甘噛みすると、持田が息を震わせた。逃げ出していった指を追い掛けて舐め、それから手首を掴み、唇と唇を合わせる。
「俺も口で……してみたい。嫌か?」
「……して、みたいって思ったんだ?」
 掠れた声を聞くと、その思いはもっと強くなった。唐桑は熱っぽい息を吐き、持田のペニスをそっと撫でた。
「したい」
「じゃあ、いいよ。それ……貴大さんのものだから」
「俺の……」
「そう……貴大さんのものにして」
 いい? そう尋ねられて、唐桑は言葉の代わりに持田に口付けた。唇を、舌を吸いながらその体を壁際に追い詰めていく。持田の背が壁に触れる――無抵抗に唐桑の愛撫を受け入れるその頬に、耳元に、首に口付ける。屈んで乳首を軽く吸って、唐桑は持田の前に跪いた。片手を持田の太腿に置き、もう片方の手で硬く勃起したペニスの根元を掴むと、持田は唐桑の頬に触れ、視線を上げさせた。目が合うと、持田は長く熱い溜め息を口から吐き出しながら唐桑の目を見つめた。唐桑を見下ろすその目は強く欲情した男のそれで、余裕を無くしているせいか普段はそこにある筈の柔らかな光が失われて、どこか冷たく見えた。眼下の獲物を見下ろす捕食者の目――思わずぞくりとするほど色っぽかった。その目に魅入られ動きを止めた唐桑に、持田はふっと微笑んで見せた。
「凄い……、見てるだけで……いきそう。もう出してもいい?」
 唐桑は目を瞬き、そして笑った。
「……駄目だ。もうちょっと堪えてくれ」
 茂みに口付け、根元をきつく吸う。そこから先端にかけてゆっくりと舌を這わせる。筋の張った、太く長い、雄々しいペニス。唐桑は男として純粋に称賛の言葉を与えたくなると同時に、恋人として興奮を覚えた。これは俺のものだ――だから、可愛がってやる。
 入浴前である事は最初から分かっていた。だが興奮状態にあるせいか、どろどろに濡れた先端に口で触れることに抵抗は無かった。生々しい味がしたが、それすら愛おしく思えた。情欲に突き動かされるまま口を開き、軽く咥えてみると、持田のそれはびくりと震えた。
「あぁ、凄い……ああ……、貴大さん、凄い、それ……」
 あんまり気持ち良さそうな声を出すので、唐桑は根元まで咥えてみようとしたが、出来なかった。せいぜい半分が精一杯で、それ以上は喉が異物として反射的に追い出そうとする。無理にしてもうっかり歯を立ててしまいそうだ。痛がらせたいわけでも、苦しみたいわけでもない――ただ可愛がって、気持ちよくしてやりたいのだ。ずるりと口から持田のそれを吐き出し、濡れたそれに口付けた。それから持田の反応を窺いつつ、先端を軽く唇で包み、飲み込めるところまで飲み込んで、飲み込めない場所は手で擦りつつ、口の中に入っている部分は頬の内側の温かな肉で擦った。息苦しかったが、とろとろに濡れて分かりやすい反応を返してくれるそれを、唐桑は心から愛おしく思った。
 先走りと唾液で唇が濡れ、顎を伝う。手で拭う為にペニスから口を離した瞬間、先端からとろりと先走りが零れそうになるのが見えた。それを舐め取り、先端をきつく吸って飲み込むと、持田のそれが大きく脈打った。太腿が強張り、ぶるぶると震える。
「あっ、くっ……あ、もう、いく、出る、出るっ、貴大さ……」
 持田は呻き声を上げて唐桑の頭を両手で抱え、そこから引き離した。唐桑は口から離れたそれが、根元を掴んだ自分の手ごと、持田の両手に包まれるのを見た。貴大さん――切なげな声で呼ばれて顔を上げる。
「あっ、あっ、ああ……!」
 目を閉じて射精の快感を味わう顔を、唐桑はまるで自分が絶頂に達したかのような気分で見つめた。手の中の熱がどくどくと脈打つごとに全身から汗が噴き出し、持田の指の隙間から溢れた白濁が頬を濡らしたとき、快感が全身を駆け抜け、体が熱波に晒されたように熱くなった。
 目を開けた持田が、荒い息を吐きながら唐桑を見る。少しの間、無言で見つめ合った。快感の余韻に甘く濡れた持田の目を見て、唐桑は堪らない気持ちになった。飲んでもよかった――そんな事まで思ってしまう。
 持田は人差し指の背で濡れた唐桑の顔をそっと拭った。
「……貴大さんって……凄い」
 何がどう凄いのかは分からなかったが、喜んでもらえたのは間違いない。唐桑が微笑むと、持田は少し口を開けてぼうっと唐桑を見つめた後、嬉しげに微笑み返した。



 脱衣所を抜けると小さな洗い場があり、持田はそこの椅子に唐桑を座らせた。持田はシャワーの湯で軽く自身の体を流した後、唐桑の後ろに膝を突き、軽く泡立てたタオルで唐桑の身体を丁寧に洗い始めた。首から左肩へ、腕を上げて脇の下へ、そこから時間を掛けて指先まで下りて、右肩に戻り、同じように指先まで洗う。焦らされている――でも、楽しい気分だ。唐桑は持田の好きなようにさせる事にした。
 両手を洗い終わった持田は背中を優しく擦り始めた。もどかしくなるような力加減で、それはこの行為がどういう意味を持つものなのかを示している。肩甲骨をなぞるタオルはやがて腰にまで下りた。うなじに柔らかいものが触れる。一瞬触れた唇はそこに微かな官能を呼び起こし、そしてつれなく離れてしまったが、腰を撫でるその手からタオルが落ち、持田の手の平と指が直に肌に触れたとき、唐桑はそこから甘く痺れるような疼きが生まれるのを感じた。男の手――持田の大きな手が濡れた肌を滑るだけでペニスがぐっと硬くなる。
 持田の手はそのまま前に回った。抱き着くような体勢になって、腰骨の辺りに芯を持ったものが触れた。
「……当たってる」
「うん」
 持田は片手で唐桑の腰をしっかりと抱いて体を密着させ、もう片方の手を唐桑のそれに伸ばした。ゆるゆると手を動かしていたのは初めのうちだけで、焦らした分を取り戻すように激しく扱いていく。その手つきと、密着した肌、後ろに押し付けられたペニスの感触の生々しさが唐桑を追い上げる。
 限界が近い。唐桑は少し前のめりになって、前の壁に片手を突いた。もう片方の手をどこに置くか迷って、腰を抱く持田の手に重ねる。きつく掴むと持田も唐桑の腰をきつく抱き返す。
 うなじにまた唇が触れた。優しく触れたその感触に唐桑は眩暈を覚え、体をぶるりと震わせて頂点に続く最後の数段を駆け上った。射精の瞬間、持田の唇がうなじにきつく押し付けられたかと思うと、音がしそうなほど強く吸われた。跡を残すためだろう、ぴりりと痛みを感じる程に吸いつかれて、唐桑は呻き声を漏らした。甘い痛みが射精の快感を増幅させる。頭から足先まで熱く大きな波に呑まれてしまう。目を閉じて、溺れる。
 快感が引いてしまう前に持田の体が離れて、唐桑はぼんやりと寂しさを覚え――後ろに温かな何かがぱたぱたとかけられる感触に目を開いた。
 腰の辺りにどろりと放たれたそれが、その下に垂れてくる。
「う……」
 思わず声を漏らしたのは、その雫を掬い取った持田の指が尻の狭間に潜り込んできたからだ。濡れた指は窄まりを探り当て、精液のぬるつきを借りて浅く中に入ってきた。唐桑は開いた両の目で壁を見つめながら、どく、どく、とやけに大きく響く心臓の鼓動を聞いていた。持田の指が――精液が――腸壁を擦る。とんでもない事をされている、と思った。体の中に精液を塗り付けられている……。
 指が中で動いていたのは数秒の事で、入ってきたときと同じように痛みもなく抜け出て行った。
「……貴大さん」
 名前を呼ばれて後ろを振り返る。はっとするほど近い場所に持田の顔があった。じっと見つめられて、触れたくなった。持田の頬に手を伸ばし、持田の唇に自身のそれを近付ける。軽く触れ合わせ、少しだけ口を開けて、唇で唇を味わう。
「ん……汚してごめん、貴大さん」
 怒った方がいいような気もしたが、怒りは湧いてこなかった。唐桑は形だけでも怒るべきか迷いながら持田の顎に口付けた。そこに生えたまだ短い髭は思っていたよりも柔らかかった。唐桑はそれで全てを許した。

 それから『責任を持って綺麗にする』という持田の申し出を断り、自分で何とかするのに三分。頭から足先までもう一度汗を流すのに二分。洗い場に二人の体液が残っていないか確認するのに、更に数分。先に風呂に入ってもらった持田を追って石枠の浴槽の中に入り、肩まで沈めると、唐桑の口からほっと溜息が漏れた。持田はそんな唐桑を見て微笑み、唐桑の目が向けられている窓の方に同じく目を向けた。
 四人家族でも広々と使えそうな浴槽の先には、はっとするほど大きく、そこには本当は何もないのではないかと思うほど澄んだ窓がある。その先に見える深緑、橙、黄色と鮮やかに葉の茂る木々の息遣いが聞こえてくるようだった。
 二人は暫くの間何も喋らず、同じ方向に顔を向けて窓の外を眺めていた。硫黄のにおいがしない無色透明の、肌に触れるとややぬるつく湯は適温で心地良い。体の強張りも疲労も何もかもを溶かしていくようだった。唐桑はそっと近付いてきた持田の肩を抱き、自分に凭れさせた。
「気持ちいいな」
「露天じゃないけど、いいですね」
「俺は露天よりこっちの方が好きだ。落ち着く」
「次は泊まりで来ましょうか」
「そうだな……次はもっとゆっくりしたいな。どうせなら連休を取って、二泊くらいしたい」
「一か月くらい前に言ってくれれば、俺の方はわりと融通ききますよ。有給も残ってるし。次もここにしますか?」
「食事次第だな。泰河は?」
「食事が美味いに越したことはないけど、部屋に風呂があるところならどこでもいい」
「本当にどこでも?」
「バックパッカーやってた頃は野宿もしてたから」
「逞しいな」
「屋根と壁があって虫が出なくて、そこに貴大さんがいるならどこでも天国だよ」
「……俺はどうせ行くなら、こだわるぞ?」
「うん。お任せします」
 建前でも何でもなく、本当に最低限の条件を満たしただけの安宿でも、持田なら文句を言わず失望もせず、共に過ごす事をただ楽しんでくれるだろうと唐桑は思った。だからこそ、そんな恋人でも思わず唸ってしまうような場所に連れて行ってやりたくなるのだ。
 そう考えている唐桑の頭の中を覗いたわけでもないだろうが、持田は湯船の中で唐桑の手をそっと握り、楽しみだね、と微笑んだ。
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